四十の一部始終

今年で四十歳になりました。二日に一回更新が目標。

『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』鑑賞。

機動戦士ガンダムSEED』は2002年に放送されたTVアニメーションシリーズ。21世紀のファーストガンダムという謳い文句で、宇宙コロニー・プラントに住む遺伝子操作された人類・コーディネーターと、地球連合を組織する遺伝子操作されていない人類・ナチュラルとの戦いというガンダムシリーズではお約束の宇宙と地球の争いを描き、避難民となったコーディネーター・キラ・ヤマトが偶然ガンダムに乗り込み宇宙戦艦で逃避行するというファーストガンダムの大筋をだいたいなぞるような物語を展開。当時の基準で言えばイケメンのキャラたちと派手なデザインのモビルスーツ、かつての親友同士が殺し合うことになる悲劇的なストーリーや七色のビーム飛び交うMS戦のハッタリが利いた演出で人気を博したが、土曜の夕方6時に人間がグロ死するシーンを流したりする露悪的な面が散見されたりなど賛否両論ありつつもガンダムシリーズ中興の祖としてのポジションを確立した。自分は当時既に二十歳前後だったためそれほど作品に思い入れがあったわけではないが、ガンダムシリーズの最新作として一応目を通していたし、当時発売されたガンプラの進歩にとても関心したので何個か作った覚えがある。

 

問題はその後。前作から二年後の2004年に続編として『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』が放送された。前作の戦いで家族を失ったという設定の新主人公シン・アスカがプラントの軍事組織であるザフトに入隊し、戦争のない平和な世界を求めて戦いに身を投じる物語……のはずだったのだが、制作の遅れによる総集編連発や途中で主役交代してしまったかのような展開に煮えきらない結末など、いち視聴者としてはどうにも不完全燃焼でお世辞にも良かったとは思えなかった。そして2006年頃に映画化されることが一度は発表されたのだがその後何の音沙汰もなく、書籍などで外伝が細々と続いてはいたもののメディア展開の中核とも言えるTVアニメがたった二作で終わり、ガンダムSEEDはもはや過去の物になったかのように思えた……。

 

だが2023年の後半ぐらいから突然映画館でもガンダムSEED新作映画の予告が流れるようになって、本当に映画をやるらしいということを知ることになった。個人的にそれほどガンダムSEEDには思い入れはなかったのと今さら感で映画はスルーするつもりでいたのだが、意外なことに公開後結構評判が良いという話を耳にした。なんでもDESTINY後半で恐ろしく不遇な扱いを受けていたシン・アスカがめちゃくちゃ活躍してるらしい。ガンダムSEED自体はゲームなどでしょっちゅう客演していたので、その度に愛機であるデスティニーガンダムを駆るシン・アスカを贔屓して使っていたのだが(主にスーパーロボット大戦)、それはあくまで原作で不憫だったからという判官贔屓の側面が強かったように思う。SEEDに思い入れは無いと言いつつも、二十年近くもそんな状態が続くと愛着らしきものが湧いてしまうらしい。まるで甥っ子の活躍でも見に行くかのように、映画館に足を運んだのであった。

 

今回のFREEDOMは作品としては至ってシンプルな作り。とても分かりやすい敵を新しく用意し、かつてのキャラクターたちが全員集合してやっつけるという、よくあるオールスター同窓会映画。その手の映画は『コードギアス 復活のルルーシュ』なんかが記憶に新しいが、心なしか作りがよく似ている気がする…。20年という空白のおかげで余計に同窓会感が増している。ただDESTINYが結論を先送りにしたような結末であったため、新作というよりは二十年間放置し続けたDESTINYという宿題を片付けるための完結編といった風情がある。世界から戦争を無くすために、デスティニープランという遺伝子に刻まれた適性に従って生きることを強制しようとしたプラント議長ギルバート・デュランダル。それを打倒して平和を勝ち取ったはずのキラ・ヤマトラクス・クラインであったが、それから二年経っても戦争がなくなるどころか戦火は各地に広がる一方。中立国のオーブが中心となって作られた平和維持機構コンパスは、機動部隊長キラ・ヤマトを中心にかつて敵対していたシン・アスカらと共に出動するというところから物語は始まる。

 

前半は、ああこれガンダムSEEDだわと感じる程度にはかつてTV放送されていたガンダムSEEDの雰囲気があった。襲いくる連合のモビルスーツに火の手が上がる街。巨大なデストロイガンダムの火力で消し飛ぶ一般市民。このちょっと悪趣味とも言える描写は個人的にイメージするSEED感と合致したので、20年ぶりでも何ら違和感なく作品に入っていけた。この後も軽い気持ちで発射される核兵器にレクイエム(宇宙から発射される巨大なビーム砲)という大量破壊兵器によってモブキャラたちがエグい死に方をするのでちょっと目を背けたくなるのがいかにもガンダムSEEDである。そして色々あって中盤キラは敵の罠に嵌って危機に陥り、そこにもう一人の主人公であるアスラン・ザラが颯爽と現れてピンチを救うのだが、その登場の仕方があまりにも意表を突かれたので笑ってしまった。そりゃあこの世界にもザクとかグフはいたけど、まさかよりにもよってそいつに乗って現れるとは……。しかもやたら強いのが余計に笑いを誘う。

 

アスランの登場によって前半の陰鬱な空気を吹き飛ばし、ここから一気にギャグと紙一重のエンタメロボットバトルアニメへと変貌を遂げる。見るからに前座だった新機体から旧主役機体に乗り換えて、これでもかとかき集められたオールスターチームで敵をフルボッコにするのはやはりカタルシスがある。前半は反則技で好き勝手にやられたお返しとばかりにこちらも切り札を次々繰り出してやり返すのである。新造戦艦ミレニアムは宇宙戦艦ヤマトみたいな無双をするし、おまけにヤマトの真田さんみたいな技術畑の新キャラまで出てくる始末。TVシリーズで戦死したキャラクターにも目配せしつつ、反転攻勢のシーンではお馴染みのMeteotも流れ出す。キラとアスランとシンの三人もそれぞれ主人公らしい活躍をしてくれる。シンが本当に活躍してる! 思ったよりデスティニーガンダムに愛着を持ってることも分かったし、贔屓してた甲斐があった。だが後半はノリと勢いで突き進んでいる感が強く、個人的には大いに笑わせて貰ったもののシリアスなガンダムSEEDが好きな人はこの展開についてどう思っているんだろう…と少し心配になってしまったくらいであった。DESTINY終盤では故郷を攻撃するための兵器を守る役目だったシンが、今回は故郷を守るためにその兵器を破壊する役目という、意趣返しのような展開になっていたのは良かったと思う。

 

ストーリーに関して言えば、憎悪と差別で戦争やってるコズミック・イラ世界のゴタゴタをいまさら二時間でどうにかできるわけがないので、デスティニープランに改めて反論しつつキラとラクスを掘り下げることで等身大の人間として描き直すことにしたのは良かったと思う。ガンダムSEED無印のときはともかくとして、DESTINYのキラとラクスは達観しているというか超然としているというか、率直に言えば何考えてるのか分からないので共感できないし親しみも持てないキャラとしか思えなかった。だがFREEDOMでは一旦そういうイメージを全て取り払って愛し合う男女としての日常的な描写も描かれていた。キラは思ったよりデュランダルに言われたことを気にしていたのかデスティニープランを否定したことに悩んでいることや、キラがなかなか家に帰って来ないので料理を作るラクスにはなんだか血の通った人間らしさをようやく感じられた気がする。序盤の何もかも一人で背負って奮闘しているキラとコンパス総裁として立場があるラクスのすれ違いによるNTR作品の導入みたいな展開、敵に奪われたラクスを寝取り男から取り戻すためにキラに本音を吐き出させて再起させる分かりやすい後半戦へのインターバルなど、さすがに話を単純化させすぎなんじゃないかとは思ったが映画としてのエンタメ感を優先したのかもしれない。だがそのおかげでキラもラクスも今回の映画でだいぶ親しみが持てるキャラになったのも事実。デスティニープランを悪用して世界の支配者になろうとする敵に対して、遺伝子はどうにかできても愛だけは否定できないという感情的だが力強い反証は、これまで曖昧な言葉で躱してきたガンダムSEEDに足りないものだったのかなと思えた。

 

結局この映画が終わった後もコズミック・イラの世界は何も良くなっていないのだが、それぞれのキャラクターは前向きになって終われたわけだし、観客としては20年来の胸のつかえが取れたような、すっきりとした状態で映画館を後にすることができた。まあ自分も歳を取ったことで何が出てきてもだいたいのことは許せるくらいの心境になっていたのが大きいのかもしれないが、後半ずっとニヤついていたので負けを認めるしかないというのが本音だ。これくらい吹っ切れた熱量のあるガンダムSEEDが見たかったのだ。

 

映画見終わった後、デスティニーガンダムのプラモデルを買いに探しに行ったらもうどこにも置いてなかった。みんな考えることは一緒らしいな……。