四十の一部始終

今年で四十歳になりました。二日に一回更新が目標。

『そして僕は途方に暮れる』を観てしまった。

映画の中で映画の話をする作品がときどきある。映画の役者だったらこのときどうするとか、映画みたいな展開だねとか、今の映画面白くなかったねとか。きっと監督は映画が大好きで、自分は映画のことがよく分かってるんだと言いたいのかもしれない。『そして僕は途方に暮れる』もそんな映画のひとつだった。

 

居酒屋でバイトをしているフリーターの菅原裕一。彼は五年間同棲している彼女に浮気がバレ、問い詰められた挙げ句逃げるように家から飛び出してしまう。それからというもの友人・先輩・後輩・姉の家を転々としながら、少しでも都合が悪くなると何も言わずに飛び出していく。そして遠く離れた地に住む母親からも逃げ出し、途方に暮れる裕一は10年前に母と離婚し家族から逃げた父親と再会する。あの子にしてこの親ありを体現するような父親との生活。スマホの電源を切り、ついに全てのしがらみから解き放たれたように見えたのだが……。

 

主人公が、とにかく逃げる。それも何か理由があって逃げるのならいいのだが、都合が悪くなったら対話も拒否し、真っ先に逃げ出す。こんなのでよく今までやってこれたなと感じるくらい。そしてこの主人公ははっきり言ってクズだ。同棲していても家事のひとつもやらないし、ご飯が作ってあっても食べないし、トイレの切れた電球も変えない。それは友人の家に転がり込んでも変わらないので、正直かなり不快だった。とんでもない外道というわけではなく、リアルで身近なクズなので余計に始末が悪い。犯罪者のほうがまだ共感できるなと思ったくらいだ。そういうクズの生態を描いた作品だと見ることはできなくもない。

 

前半は住居を転々としていき、このままどこまで行くんだろうという楽しさもあるにはあったが、個人的には不快感の方が勝っていた。そんな不快極まりない逃亡劇だったが、母親から逃げるときだけは唯一正当性のある逃亡である意味面白かった。その後街で再会した豊川悦司演じる父親はかなり年季の入ったクズだったが、クズであることを割り切ってる分キャラが立っているし、なまじプライドの高い裕一よりはマシに見えてくるから不思議である。最終的に裕一にも変化の兆しが見えてくるのだが、とにかく裕一は情けない男だと徹底して描かれている。そんな人間でももしかしたら更生の余地があるのかもしれない、変われるのかもしれない……ということをこの映画は言いたいのかもしれない。

 

監督の三浦大輔は2016年の『何者』しか観たことがなかったが、あの映画も結局はそういう話だったように思う。就職活動中の大学生が、小手先の技術ばかり身につけ結局何がやりたいのか分からなくなり、仲間からもそんな心根を見透かされてしまうのだが、最終的には自分を見つめ直して再起する。誰にでもありそうな、愛すべきダメさ加減。思い返してみれば『そして僕は途方に暮れる』とわりと共通する点はあるのだが、残念ながらこちらのダメさを自分は愛せなかった。

 

最初に書いたとおり、映画の話がよく出てくる映画である。裕一は映画サークルに入っていたらしいし、後輩も映画関係の仕事をしていて、先輩も部屋に置いてあるものを察するに映画好きなんだろう。父子で映画を見たり、友人と映画監督の話をしてみたり。なんというか、この監督は観客の考えそうなことを先回りして言いたいのだろうかと考えてしまう。はっきり言って言い訳がましいとすら思った。君の言いたいことは分かってるよ。でも僕はそれを分かってやってるからノーダメだよ。そんな風に。映画の前半、自分がぐっと堪えながら観ているときに、客席から一人立ち上がり帰ってこなかったが、今思うとその人のことが羨ましかった。