四十の一部始終

今年で四十歳になりました。二日に一回更新が目標。

『十二人の怒れる男』鑑賞。

4月になって始まった大量の新作アニメを消化している今日このごろだが、その流れでふとAmazonPrimeVideoを眺めていると『十二人の怒れる男』が現在無料で見られるのを発見してしまった。自分はこれまで見たことがなかったが、映画に興味があるなら一度は聞いたことのあるタイトル。せっかくだから見てみたい!と、とりあえずアニメは脇に置いておいて先にこちらを見ることにした。

 

舞台はアメリカのある裁判所である。そこに集められた12人の陪審員。裁判は粛々と進み後は陪審員の評決を残すのみとなった。有罪にせよ無罪にせよ評決には全員の一致が求められるため、裁判所の一室に集められることになるお互いに名も知らぬ12人の男たち。裁判では被告に不利な証拠や証言ばかりだったため誰もが有罪と信じて疑わなかったが、たった一人だけ無罪を主張する男がいた。その理由は「有罪である確信が持てないから」というもの。かくして一人の男と十一人の男たちの議論が始まるのであった。

 

いわゆる法廷もの…と言っていいのか分からないが、上映時間の9割以上は会議室で行われる男たちの議論を描いた事実上の密室劇である。概要だけ聞くと本当にそんなもん面白いのかと思ってしまいかねないが、実際のところ……すごく面白かった。尺は90分ちょっとと短めなこともあって、ダレることなく一気に見終わってしまった。

 

最初は扱っている事件のあらましすらまったく分からないのだが、男たちの会話を通して全体像が少しづつ明かされていく。見ているうちにどうやらスラム街に住む18歳の少年が父親をナイフで刺した…という事件らしいことが分かる。それにつれて12人の男たちがどういう人間なのかも少しずつ分かってくる。当時はある程度の社会的地位がなければ陪審員になれなかったのか?わりと年齢は偏っている感じなのだが、職業も生い立ちも様々である。有罪を主張する理由も家庭環境から来る偏見や思い込みだったり、あるいは用事があって早く終わらせたいからなどという男もいるし、中には理論的に筋道を立てて有罪を唱えるもの、証拠を絶対視して譲らないものなど個性も様々だ。

 

それに対して無罪を主張する男は、法廷で取り扱われた証言や証拠についてそれは少年がやったと確信を持って言えるほどのものではないと固定概念を取り払って、ひとつひとつ再検証していく。陪審員は人の命を左右する立場なのだからと、短期で怒りっぽい男に対してもひたすら冷静に辛抱強く議論を重ねていく。その熱意に当てられてか徐々にだが会議室の空気にも変化が訪れる。

 

だがこの作品の凄いところは、あくまでも少年が無罪か有罪かを判断するということであって、実際に少年が父親を殺したかどうかという事件の真実は最後まで分からないということである。もしかしたら本当に殺人犯を世に解き放つことになるかもしれない……。その可能性が消えることはないのでもやもやしてしまうかもしれないが、これはミステリーではなく”疑わしきは罰せず”という法の理念をひたすらに問い続ける話なのだと思う。

 

ミステリーだと思って見てしまうと、観客目線では証拠とか証言が後からどんどん出てきて後出しじゃんけんみたいという感じはもの凄くあるし、正直後半にいくにつれて重箱の隅をつつくような感じになるというところもあるのだが、状況証拠だけで軽率に死刑にしてしまうことは許されないのだという強い姿勢を感じるし、途中で議論が面倒くさくなって有罪から無罪に変えた男が出てきたときも、無罪なら無罪だと思う理由を言うべきだと強く迫ったりもすることから、人の命を左右する陪審員であることへの強い責任を感じられて個人的には好感を持った部分である。

 

こういう作品の常として最終的には状況が逆転するのだが、そうなることが分かっていてもそこまでの話運びは見事で、まるで自分も13人目の陪審員であるかのように熱っぽく映画に見入ってしまった。1957年(67年前)の映画ということもあって白黒だし、男ばかりでむさ苦しい雰囲気だし、古さを感じる部分も少なからずあるが、今だからこそこの作品のテーマを改めて胸に刻んでおきたいと思える、時代を越えた名作というのはこういうもののことを言うんだろうな。

 

自分が裁判員に選ばれるようなことがあったら、また見てみたい映画である。日本の裁判員陪審員ほどの影響力はないけども……。