四十の一部始終

今年で四十歳になりました。二日に一回更新が目標。

『窓ぎわのトットちゃん』鑑賞。

何年か前、大晦日ニコラス・ケイジ主演の映画『マンディ 地獄のロードウォーリアー』を見て酷い気分になって以来、その年の最後をどの映画で締めるかについては細心の注意を払うようになった。そういう経緯があって今年最後に選んだのが、黒柳徹子の幼少期を描いた自伝的小説を原作としたアニメ映画『窓ぎわのトットちゃん』である。非常に有名な作品ながら原作は未読だが、2023年10月に続編が刊行されたということもあって読んでみようかなという気持ちになった。

 

物語は昭和16年頃(西暦1941年)から始まる。あまりにも落ち着きがなく、授業を台無しにしてしまうことを理由に小学校を放校されてしまったトットちゃん(幼少期の黒柳徹子の呼び名)は、自由でユニークな教育をしているトモエ学園と呼ばれる郊外の私立の学校に通うことになった。そこで出会う個性豊かなクラスメートたち、校長である小林先生や担任の大石先生、改札に立つ駅員さんなどとの日々を描いた作品である。

 

物語としての大きなヤマは終盤に存在しているものの、基本的には家や学校で起こった日常の出来事を、トットちゃんというまだ思春期を迎える前の少女の目線を通して描いた物語だ。トットちゃんは非常に正直で思ったことはすぐ口に出し、その感性は幼くも独創的。そしてトモエ学園の校長である小林先生は、集団生活でははみ出しものとして扱われたトットちゃんを突き放すわけでもなく、必要以上に過保護になるわけでもない絶妙な距離感でその個性を尊重して児童に接していく。とはいうものの、最初に小学校で教えていた先生が悪いわけではなく、今で言う学級崩壊に近いレベルのことをトットちゃんに起こされていたのだから、同情の余地はある。要するにトットちゃんにとって必要な恩師に出会い、必要な教育を受けられたということが幸せなことだったのだと思う。トットちゃんと同じく他の学校に通うことができなかったであろうクラスメートたちとの学業の日々は、やさぐれてひねくれたおっさんにとっても見ているだけで心が浄化されるような、尊く愛おしい時間だったように思う。

 

そしてこの作品で特筆すべき点は、時代背景が太平洋戦争の開戦前後から終戦前までに渡って描かれるというところである。最初は平和で豊かな生活を営んでいる街の風景に、徐々に徐々に忍び寄ってくる戦争の影。その激動の時代の流れにトットちゃんたちも否応無しに巻き込まれていくことになる。戦争中の一般家庭を描いたアニメ作品としては『この世界の片隅に』なんかが記憶に新しいが、トットちゃんは当時でもわりと裕福な家に育っており、そういう点でも少し新鮮な描写だったように思う。だいたい戦争が作品がテーマになると辛い苦しい貧しいという部分がフォーカスされがちだし。トットちゃんはバイオリニストの父親を持ちわりと大きな家に住みあまり不自由のない生活を過ごしている。トモエ学園も私立校だけあって公立の小学校の生徒とは生活水準に少し差があったりするのでそういった細かな描写から目を離せない。緻密な日常風景と躍動感のある子どもたちの動き、そして時にはアヴァンギャルドに描かれるトットちゃんの想像の世界にはアニメーションとしての素晴らしさが詰まっていた。

 

去年は色んな目線から遠く過去になった戦争を再考するような作品が特異点的に多数公開されて、そういう意味でもトットちゃんは今見るべき作品のひとつであると声を大にして言いたい。終盤、とあるクラスメートに起こった出来事があまりにも突然すぎてかなりショックを受けたが、その突然さも含めてある意味この作品が子供の目線で描かれていることを象徴していた出来事かもしれない。この世の中が美しいものだけではなく、失われていくものでも溢れていることに気付いたときのトットちゃんの姿は、美しくも悲しい。濃い化粧をしているように見えるキャラクターデザインは、見ているうちに気にならなくなってくるものの最初はちょっと気になった。当時の裕福な家の娘だとあんな感じになるのだろうか? その辺は好みがあるだろうが、そういうのを乗り越えてでも見る価値があった。

 

この映画を2023年の最後に選んで本当に良かった。