四十の一部始終

今年で四十歳になりました。二日に一回更新が目標。

『LAMB/ラム』鑑賞。

A24と言えば、世間の売れ線からは外れたちょっと風変わりな映画の制作や配給をすることで知られる会社であり、『ヘレディタリー/継承』や『ミッドサマー』の印象が特に強い。この『LAMB/ラム』もそんな流れの中にある、フォークホラーっぽい雰囲気を纏う作品のうちのひとつである。

 

アイスランドの人里離れた場所で暮らすイングヴァルとマリア。二人は牧羊を営みながら、寂しくも穏やかな生活を送っていた。だがある日羊の出産に立ち会ったとき、異形の存在が産まれてきてしまう。しかしかつて子供を失っていた二人は、それを神の授かりものだと解釈し、異形の存在に娘と同じアダという名を付けて育てることにする。家族の生活につかの間の幸せが訪れるが、その周囲では不穏な影が動き始めていた。

 

物語の始まりがクリスマスであったり、マリアと羊という時点で聖書をモチーフにしているんだろうなという気がしたが、公式サイトでも子羊を抱きかかえるキリストに寄せたマリアのイラストを使っているあたり、やはりかなり意図的なものなのだろう。イエス・キリストのことを、別名神の子羊と呼んだりもする。個人的には聖書はごく一部、本当に有名なエピソードくらいしか分からないので、あまり細かい引用をされてもピンと来ないので困ってしまう。洋画は本当に聖書の引用が多いから、一度は読んでおいたほうがいいと分かっているのだが。

 

途中で金銭問題を抱えた夫の弟が帰ってきたりするものの、多くの時間は何かありそうで何もない生活感のある描写がずっと続いていく。夫婦は一見幸せな生活を送っているように見えても、かつて娘を失った喪失感はいまだに埋まっていないことが会話の端々や不穏な夢の数々から伝わってくる。異形の存在を受け入れてしまったのも、そんな境遇だったからこそだろう。アダも不気味というよりは意外と愛らしく、まあこういうのもアリなんじゃないか……という気が段々してきてしまう。しかし弟から「何だあれ」というツッコミが当然入るので、やはりアダは異質な存在には違いないのだ。

 

しかし破局は唐突に訪れる。それは因果応報なのか、それとも宗教的に避けられない代償だったのか、それともホラーとして必要な結末だったのかは計りかねるが、最初はアダ以上に面妖な存在の登場に面食らったものの、終わりをもたらした”それ”は最後にいきなり出てきた存在ではなく、一番最初のクリスマスの場面で羊を孕ませた存在だったのだと分かった。因果応報を受ける対象がおかしくないかと初見では思ったが、死ぬよりも何もかも失うほうが罰としてはより重いのだろうと思い直した。そしてそれを黙って受け入れなければならないことも。

 

映画そのものが積極的に何かを語ってくる作品ではないので、与えられた断片から何らかの意味を見出だせる人にとっては良い作品だと思うし、作品側から何らかの結論を出してほしいと思う人にとっては駄作になるだろう。個人的には何でもない時間が長くて退屈に思えたが、こういう映画をダラダラと流すのも正月休みの特権か……。