四十の一部始終

今年で四十歳になりました。一日一回更新が目標。

Netflix『ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン』13~24話を観た。

ジョジョの奇妙な冒険の第六部が連載されていたのは今からおよそ20~23年前。その頃の自分はまだジョジョの単行本を買い集めるなどということもなく、少年ジャンプのひととおり読む漫画のうちの一つでしかなかったが、その中でも六部の印象はあまりよろしくなかった。女主人公だからというより、この頃から妙に観念的というかトンチのようなスタンドが増え始め、スタンドバトルがいまいち飲み込みづらくカタルシスを感じられなくなっていたからかもしれない。

 

だが今アニメになった第六部を改めて見返してみると、六部は意思の強さを競い合う戦いなのだというのが自分にも少し分かってきた。要するに我慢比べである。これは黄金の精神という概念が出てきた四部から徐々にその傾向が強くなり、この六部で頂点を究める。たとえば第三部や第四部の頃の承太郎は精神にゆらぎがほとんど見られないので非常に強くて頼りになるのだが、第六部においては娘のことで後ろめたさがありほとんど頼りにならないといった風に。

 

第六部の敵は肉体的には強くないが精神が下衆なのばかりで本当に嫌らしいスタンド使いが多い。オラオラを叩き込むまでの苦労も相当なものがあり、それまでひたすら耐え続ける徐倫の意思の強さが浮き彫りになる。そういう視点で見てみたら、昔はそれほどでもなかった第六部もそれなりに楽しめるものだなと思った。

 

とはいうものの13~24話はけっこう話が回りくどい。〇〇をするための□□に必要な△△…といったような感じでRPGのおつかいクエストか? などと思わずにはいられない。しかもそれを結局プッチ神父に全てかっさらわれてしまうものだから、徒労感が半端ない。ウルトラセキュリティ懲罰房の話あたりはネトフリなら週を待たずに見られるおかげで原作のときよりだいぶマシに感じられた。ケンゾーとドラゴンズ・ドリームとの漫才も声優が達者なおかげで面白い。

 

この辺りで特に気になるのはやはりフー・ファイターズ死ぬ死ぬ詐欺。知性を持ったプランクトンの群体という設定のフー・ファイターズは、ちょっとやそっとでは死なないためいともたやすく致命傷を受けるし、それが頻繁にあるせいで今まさに死にゆかんとしているときでもそんなに悲しくない。今際の際のセリフは非常に感動的なのだが、だってまたすぐに復活するかもしれないし……。

 

だからその分アニオリで追加されたエルメェスフー・ファイターズに別れを告げるシーンでは、フリではなく本当にいなくなってしまったというのが後から認識が追いついてきて少し切なかった。このシーンだけでもストーンオーシャンのアニメをやった意味があったと言ってもいいくらいだ。

 

たぶん次のシーズンも見ると思うが、第六部のこれから先の話はこれまでよりさらに理解を拒む展開になるので、今度こそちゃんと話を理解できるかどうかの挑戦でもある。ボヘミアン・ラプソディであのキャラクターは本当に出せるのか? そしてカタツムリの話は本当に映像化するのか? 興味は尽きないがカタツムリの話はあまり見たくないような気もする。