四十の一部始終

今年で四十歳になりました。二日に一回更新が目標。

『劇場版GのレコンギスタⅤ 死線を越えて』鑑賞。

Gレコが8年の歳月をかけてようやく完成形となった今

その率直な感想を言うなら”満足”だった。

当初はよくわからんなこの話…という微妙な印象であったが

劇場版で物語が直感的に飲み込みやすくなってからは

入り組んだ世界観や多数の登場人物による人間関係の複雑さ

勢力入り乱れる戦闘シーンの面白さに気付きやすくなったのだと思う。

 

TV版から多少の変更点のある総集編である劇場版は

分かりやすく整理されただけでストーリーには特に変更点は無いのだが

最後の最後に作品の印象がガラリと変わりかねない追加があった。

たったこれだけで納得感がまるで違うんだから、最初から入れておけよ禿!

∀ガンダム』のソシエ・ハイムみたいに明確にフラれたわけではなかったが

その後の進展を見せられずに終わるのは視聴者も辛いのだから。

 

今回の劇場版はTVシリーズの23話から26話までにあたる。

ストーリーの変更点が無いということは、上映時間のほとんどは

戦闘につぐ戦闘であり息抜きのシーンはかなり少ない。

それどころかこれまでの戦いの精算とでも言わんばかりに

次々とキャラが退場していくため、観客の精神的負担はかなり大きい。

あるものは非常にあっさりと、あるものは精神的変調をきたしながら消えていく。

皆殺しの富野とはかつての通り名だが

味方の犠牲が少ないだけで、今でもその皆殺しっぷりは健在なんじゃないかと思う。

 

男の野心よりも女の情念が戦場をややこしくしていくあたりは

まさに富野アニメといった感じで、女性陣の活躍が印象に残る作品だった。

誰が何のために戦っているのか、見ている人間もよく分からないのと同じように

多分劇中のキャラたちもよく分かっていないのだと思う。

ラライヤのセリフに象徴されるような、戦争を知らなかった世界で

『大きなおもちゃを貰ってはしゃいでいる大人』

を描いていたのがGレコであるならば

メガファウナの目的はその戦いを止めることにあった。

それこそが26話かけてやってきた旅の目的だったと言ってもいい。

 

戦いを主導するものたち、闘争心の強いものたちは悉く消え去り

戦後はある種の平和が訪れるが、それが続くかどうかはこれから次第。

Gのレコンギスタ』の物語としてはむしろここからが始まりなのだろう。

地球から月へ、そこから金星まで行ったベルリたちの次の視線は世界へ向かう。

どこまでも自分の目で見て確かめるのがベルリたちなのだから。

エピローグでのベルリがアイーダとケルベスのやりとりに何かを感づく場面は

いつまでもロボットなんかにうつつを抜かしていないで

自分の目で世界を見てきなさい!という老人の叱責が聞こえてくるようだったが

申し訳ないが自分はまだしばらく卒業できそうにない。

 

ベルリとノレドもそうなのだが、アイーダとケルベスのアレも

一見してかなり分かりにくいほどのあっさりしたやりとりだが

よく考えるとそれってそういうこと? という感じなので

エピローグの新規部分には驚かされた。

TV版ではラライヤ応援団の一人でしかなかったケルベスだが

劇場版ではアイーダ関連のシーンではちょくちょくケルベスの新規カットがあり

関連を匂わせてはいたのだが…。

アイーダは元々カーヒルみたいな男が趣味だったのだから

そこでケルベスが選ばれるのはさもありなんという感じではある。

 

劇場版でも変更がなかったが、ルインとマニィがゆるキャンするに至ったところだけは

何かしらの補足が欲しかったところである。

最後の戦いで憑き物が落ちたのだろうがあまりにも落差がありすぎる点は否めない。

劇場版唯一の不満点だ。

クンのお腹が妊娠していると分かるほどの時間が経っているので

頭が冷静になくらい色々あったあのだろうとは推察できるのだが。

クリムとミックがクレセントシップを離れて何がしたいのかというのが

はっきりしたことについては良かったと思う。

 

書きたいことは他にも山ほどあって

その全てにコメントしていると終わらないので

とりあえず劇場で買った『富野由悠季の暗号』を見終わってからまた考えたいと思う。

禿にはまた新しいアニメを作って欲しい。

また見るから。