四十の一部始終

今年で四十歳になりました。二日に一回更新が目標。

スカイリム日記26『計り知れない深み(後編)』

 

ドワーフあるいはドゥーマーと呼ばれる種族は、かつてこのタムリエル(スカイリムのある大陸)で隆盛を誇っていたが、ある日を堺にこつ然と姿を消した。禁忌に触れ創造主に種族ごと消されてしまったという説が有力だが、今その行方を知るものはいない。このアバンチンゼルもそのドワーフの遺跡のひとつ。今も蒸気が吹き上がり中からは歯車の駆動音が聞こえてくる。この遺跡はまだ生きているのだ。

 

 

遺跡の内部は金属のような光沢のある壁で覆われており、ところどころ光を放つ石が設置されているので探索には支障がなさそうである。しかし中に入ってから少し経つと不思議なことが起こった。

 

幽霊でもないし魔法でもない、幻なのか残留思念なのか、実体の無い薄ぼんやりとした人影が見えるのだ。その影は四つ。よく見ると、俺に”辞典”を渡したあのアルゴニアンの女もいる。まるで記憶を覗き見ているかのような……。

 

 

奥へ進んでいくその人影を追うが、この遺跡の守護者である自動人形(オートマトン)が行く手を阻む。金属の身体を持つその人形は、特殊なドワーフ金属によって作られており、剣も魔法も通りにくい厄介な敵である。倒すと中から宝石や魂石が出てくるのだが、これが動力源なのだろうか? 山ほど手に入ってこちらとしては助かる。

 

このアバンチンゼルは図書館として作られた、というのは影同士の会話によって得られた情報なのだがここには本など何も置かれていないのだ。”辞典”と呼ばれるこの立方体こそが本の代わりということなのか? 疑問は尽きない。どんどん奥へと進んでいくと野営の跡が残っていた。おそらくこの影の四人残していったものに違いない。歩き疲れていたのでしばしの間休息を取ることにする。

 

 

探検を再開し、やがて工房のような場所に出た。まだ組み立てられる前のオートマトンが幾つも横たわっているが、主を失ったその人形たちが完成することはもはや無いのだろう。中にはここまで遭遇しなかった大型のものもあり、もしこれが動いていたなら苦戦は免れなかったはずである。

 

 

通路に死体が横たわっている。四つの影のうちのひとりがそこで引き返し罠にかかって死んだのが見えた。そのおかげで自分は罠にかからず助かったのだ。このドワーフの遺跡の中でも、回転する刃が飛び出してくる罠には何度か冷や汗をかいた。少しでも油断したら全身をくまなく切り刻まれて死ぬだろう。最深部、大きな扉の前にあった死体も同様の方法で殺されていた。気が付けば影は二つになっていた。

 

 

大きな管の間を抜けて、ついに最深部と思われる広間に到着した。そこには既にバラバラになった大型オートマトンの他に、完全な形で残されていた大型のオートマトンが鎮座していたのだ。

 

もしや……こいつまだ動くのか? 近づいた途端部品同士が擦れ合うような音と、身体から吹き出す蒸気がまるで大きな唸り声を上げたかのようにオートマトンが動き出した。なんという迫力だ! 両手は槌と弓を合わせた形をしており、手数を増やすために召喚した炎の精霊はその腕の一振りによって一撃で倒された。それならと思って召喚したドレモラも今回ばかりは分が悪く押されている。

 

 

接近戦では重い強烈な一撃を放ち、離れれば熱い蒸気で狙い撃ってくる強敵だ。普通だったら、こちらもそう長くは持たなかっただろう。だが錬金術の腕を磨いていたおかげで治療薬も大量生産していたのだ。金属の身体ではない生身の人間だからこそ、この戦いに勝機がある!

 

 

長期戦となったが我慢比べはこちらの勝利に終わった。動力の切れたオートマトンは、小型オートマトンのようにバラバラになることはなかったものの、倒れこみ置物のように動かなくなる。そして再び動き出すことのないよう、核となる部分を抜き取っておいた。一時はどうなることかと思ったが、やってやれないことはないものだ。

 

 

そして広間には”辞典”が収まりそうな台座があり、その前には四つの影の三人目の死体が横たわっていた。この台座から最後に生き残ったあのアルゴニアンの女が辞典を抜き取ったのだと理解する。ではこの台座に戻せばいいのだろうか。辞典は台座にすっぽりと収まるとにわかに光を放ち、その瞬間頭の中に誰のものともつかない様々な記憶が流れ込んできた。

 

 

俺に見えていたあの影は、この辞典を通して見せられていたあのアルゴニアン女の記憶そのものだったのだ。この台座から抜き取ったとき、女の記憶の一部がこの辞典に移されたのだ。それと同時にわずかだが、辞典に貯えられていたドワーフの技術の一端を垣間見た。ほんの一工夫加えるだけで、武器防具の出来栄えが変わるコツのようなもの。大いなる古の知識であった。

 

 

流れ込んだ記憶の再生から我に返ると、今の閃きを忘れない内に鍛冶に取り掛かりたかった。大急ぎでアバンチンゼルを脱出し、ホワイトランまでの道のりはあっという間だった。

 

自宅に保管してあった月長石の鉱石を精製したインゴットをから、エルフの装備一式(兜・鎧・篭手・ブーツ)を作り出す。そして地道に買い集めていた鍛造の秘術を封じ込めてあるアミュレットと革の手甲を身に着け、ブリスターワートという茸とスプリガンの樹液を混ぜることによって出来る鍛造の秘薬によって普段の何倍もの集中力が一時的にだが発揮される。完成するまで何本もの秘薬を服用しながら、一心不乱に防具を鍛え上げ、ついに伝説の武具と見紛うほどの逸品が出来上がった!

 

 

しかしこれで終わりではない。青い蝶の羽とハグレイブンの爪によって作られた秘薬を用いて、今度は出来上がった防具に付呪を行う。その付呪とは、破壊魔法の負担軽減! 魂石に縛った魂が付呪を介して防具に宿り、魔法を使用する際に消費されるマジカを肩代わりする。それを全身の防具に行えば、破壊魔法の使用によって消費するマジカが大幅に軽減されるはずである。

 

 

手と足の防具には魔法負担軽減の付呪を行う術がないので、急遽金で作った首飾りと指輪を用意した。そして秘薬を飲み精度を上げて付呪を行う。使用する魂石はもちろん極大サイズの結晶に極大サイズの魂…たとえばドラゴンやマンモスの魂を縛った最高品質のものだ。これなら大きな成果が期待できる。

 

 

そうして完成したエルフの装備一式を身に着けてみた。金属製のはずなのだが革の装備と同じくらい軽く、そして遥かに丈夫な防具なのだ。ただし元々細身のエルフ向けのデザインのため、身長があまり高くなく横幅が広い俺が身につけると少々不格好なのが玉に瑕だ。そして金色に輝き少々目立つ。

 

俺は装備の効果を確かめるため、ホワイトランの人目につかない場所でエクスプロージョンを唱えてみた。これまでは俺のマジカ許容量では全てを絞り出しても一発撃つのがせいぜいだったのだが、今はまるで負担を感じない。これまで不可能だった二連の唱え(ダブルスペル)ですら可能になっている。

 

う、うわあああああ! 凄い! 凄すぎる! 調子に乗って10回ほどエクスプロージョンを使ったらようやくマジカが底をついた。まさかこれほどとは……。俺はとてつもない火力と、そして比類なき守備力を同時に手に入れてしまった。

 

【続く】

 

 

 

 

スカイリム日記25『計り知れない深み(前編)』

 

すべての始まりの地、ヘルゲン。あのとき目の前にドラゴンが現れてからこの世界は一変した。そして俺自身の運命でさえも。鉄壁を誇ったはずの帝国の砦もいまは焼き尽くされて廃墟と化しており、山賊のねぐらになっている。門の鍵を強引に突破して中に入ってはみたものの、得られるものは何もなかった。

 

俺が今目指しているのはリフテンと呼ばれるスカイリムの南東、ほとんど地図の端に近い場所に位置する要塞であった。ホワイトランからの道のりは非常に遠く、そして道は険しい。リバーウッドを抜け、ヘルゲンを通り、世界のノドと呼ばれるスカイリムで一番高い山の麓を通ってようやくリフト地方に入る。そこからさらに長い距離を歩いていくとようやくリフテンだ。

 

 

なぜそんなところにわざわざ向かっているのかと言えば、同胞団で起こったこともあるのだが、錬金術の成果物である薬を売る相手がいなくなってしまったからだ。正確には出来上がった薬が高価なため買い取るためのお金を誰も持っていないという、恐れていた事態が起きてしまったのだ。

 

そのために行商人のごとく他の街へと売り歩く必要が出てきたのだが、せっかくだからまだ行ったことのない遠い街まで行こうと考えた。リフテンはソリチュードやホワイトランにも匹敵するほどの大きな要塞だというので、商売をするにも都合が良いはずである。

 

 

ヘルゲンからは峠道になり、ずっと登っていくことになる。長い長い上り坂だ。途中少し道を逸れたところにあるオーファンロックという場所で、ハグレイブンと戦いネトルベインという短刀を手に入れた。これは誰かに取ってきてほしいと頼まれた品だったような気がするのだが、今はちょっと思い出せそうにない。ぼんやりと考えているうちに峠を越えた。

 

 

そして今度は峠を下っていくと一軒の小屋があった。入り口には鍵もかかっておらず、人が住んでいる様子もない。だが置かれていた日記を読むと、かつて一人の錬金術師が住んでいたということが分かった。ここには無数の錬金素材が所狭しと置かれており、まるで宝の山だ。ご丁寧に錬金器具まで置かれており、研究をするのにこれほど適した場所は他にないだろう。庭に毒草ばかり生えているのは気になったが、素材についてはありがたく頂戴し、そのままリフテンに向かう。

 

 

峠を下りきったところにある、イヴァルステッドという世界のノドの麓にある小さな村に宿を求めて立ち寄った。風光明媚だが何もない小さな村で、世界のノドの登山口である七千段の階段というのはこの村にあったのだ。いつか俺もドラゴンボーンの使命を果たすためにこの山に登らねばならないときが来るだろう。しっかりと覚えておかなければ。

 

そこから先は平坦な道のりだった。木立がどこまでも続き、川に沿った道をずっと歩いて行く。幾つもの砦や遺跡の横を通り過ぎていき、まだ見ぬ冒険を予感させて胸が躍った。やがて大きな湖の湖畔に石造りの大きな城壁が見えてきた。あれこそが探し求めていたリフテンに違いない。

 

 

ようやく門の前までやってきたのだが、どうやら俺の思い描いていたリフテンとはだいぶ違うようだ。貸馬車の親父が言うには、盗賊ギルドが街に蔓延って治安が悪化しており、どこにいても気が抜けない街らしい。そして入口で早速その洗礼を浴びることになった。衛兵が交通料を要求してきたのだが、俺は大声で強請られていることを主張すると、鬱陶しそうに衛兵はしぶしぶ通してくれた。

 

 

城壁の中は数多くの家が立ち並んでおり、中央の広場には露天商が何軒も立っていて活気がある。しかもここには売買するものを選ばない雑貨商ばかりだ。中にはスリを唆してくる人間もいたが、話を聞かないフリをしてやり過ごした。

 

 

作った薬を売り捌いているうちに、自分も彼らと同じような雑貨商として、専門店相手にも薬を売りつける会話術が身に付いたのだが、薬売りの悪徳行商人の噂が広まってしまうんじゃないかと少し心配になった。

 

 

住民の話を聞いているうちにリフテンの現状がだいたい把握できてきた。ハチミツ酒で財を成した富豪ブラック・ブライア家。現在は盗賊ギルドの後ろ盾になっていることは公然の秘密であり、権力は首長をも上回っているという。そのおかげでリフテンの治安は悪化する一方であり、住民たちには言いしれぬ不安が広がっているのだ。

 

 

俺は薬の売買で儲けた金を、鍛冶屋・灼熱の戦鎚の主であるバリマンドから技術を習うのに費やした。そしてついに鍛冶の奥義の一つである、魔法鍛冶の技術を習得することに成功した!

 

 

鍛えた武器防具を後から付呪するならともかく、既に付呪されている武器防具を後から鍛えるのは繊細な技術を要求される。今度からは誰の手を借りることもなく自分で行うことができるようになった。鍛冶・錬金・付呪の三つを精鋭の域にまで高め、ようやく自分自身のための防具を作る技術と覚悟が整った。ただし準備が整っているホワイトランに戻ってからになるが。

 

 

要塞の中をうろうろしていると、街の一角に孤児院があることに気付いた。その名もオナーホール孤児院。オナーホール孤児院!? 思わず目を疑ったが、確かにそう書いてある……。なんだか卑猥な響きのする孤児院だが、俺の気のせいだと思いたい。

 

少し興味が湧いたので中を訪ねてみると、ここの院長だと思われる老婆が子供たちをまるで人とは思わぬ態度で叱責しているではないか。あの老婆……街の噂によると”親切者のグレロッド”と呼ばれているそうだが皮肉としか思えない。

 

子供たちの顔にも諦観の表情が浮かんでおり、最近子供が一人脱走したことで躾の厳しさがより増しているという。その子供がウインドヘルムという街へ逃げ出したという話を、施設の子供たちが口々に噂をしている。その子が救世主を連れて自分たちを助けに来てくれると信じているのだ。しかし今の俺にはこの子たちには何もしてやれない……そんな無力感に苛まれそうになり、自己嫌悪に陥る前に孤児院を立ち去った。

 

 

湖に隣接した城壁の出口を出ると桟橋があり、漁を生業としている人間たちが集まっている。要塞内の淀んだ空気とはうって変わって爽やかな風が吹く。たまたまそこに置いてあった釣り竿の糸を水面に垂らし、しばしの間佇んでいると、アルゴニアン(トカゲ人間)の女が声をかけてきた。その女は”辞典”と呼ばれる謎の立方体を持っていたのだが、どこからどう見ても辞典と呼べる代物ではない。強いて言うなら呪いのアイテムか何かか……。

 

 

この近くにあるドワーフの遺跡・アバンチンゼルから持ち出してきて以来、売ることもできず頭を悩ませているという。しかしもう二度と遺跡に足を踏み入れたくないので、代わりに返してきてくれないか……そんな事情だけ話すと、俺にその箱を押し付け女はさっさとどこかに消えてしまった。

 

なんだか体の良い厄介払いをさせられている気がするのだが、この近くにドワーフの遺跡があるという情報を得たのは収穫だった。ドワーフの遺跡はスカイリムに来てから一度もお目にかかったことがないので、いずれ冒険してみたいと思っていたのだ。商売ばかりしていても腕が鈍る。次の目標はリフテンの西にあるアバンチンゼルに決めた。

 

 

【続く】

 

 

『ガールズ&パンツァー』アニメ10周年記念上映会に行ってきた。

10周年と言っても、初めて観たのは2022年の初頭の頃だったので自分にとってはまだ一年にも満たないのだが、劇場版はいつか映画館で観てみたいと思っていたところ、なんと早くも千載一遇のチャンスがやってきた。

 

アニメ10周年記念上映会。10/9の一夜限りで全国的に劇場版が再上映され、しかも特別に大きなハコも用意されるというまたとない機会である。当時多くのリピーターを生んだという、高音質での上映ならぜひとも行きたい。そう思って自宅から一番近いところのDOLBY ATMOSの中央やや後方の席を予約したのである。

 

当日行ってみるとやはり年齢層高め、女性客少なめと想像通りの客層。着席率は5割強といったところ。海千山千のガルパンおじさんの中にあっては素人も同然の自分だったが、舐められないように平静を装う。左右の席がひとつ空きだったので4時間という持久戦だったが終始快適であった。

 

上映会は『ガールズ&パンツァー 第63回戦車道全国高校生大会 総集編』と『ガールズ&パンツァー 劇場版』の計240分の間に15分の休憩を挟む長丁場である。最初の総集編はTVシリーズOVAを合わせた総集編にあんこうチーム5人のナレーションを追加したものだったのだが、本編を一度しか通しで観たことがなかったのでほどほどに細部を忘れていた身としてはありがたかった。この時点で配信で観たときと全然音が(特に砲撃音)違うなと感じてはいたのだが、これはまだ序章に過ぎなかった。

 

そして本来の目的である劇場版。最初の30分がエキシビジョンマッチ、後半の一時間が大学選抜チームとの試合という、上映時間の大半が戦車戦で構成されている極めて尖った作品なのだが、全国大会優勝した大洗女子がふたたび廃校の危機に晒され、全国大会で戦ったライバルたちと今度は手を取り合って最強の敵に立ち向かうというストーリーもちゃんとある。

 

いかにもTVアニメの劇場版といった感じの王道展開だがやはり燃えるし、最初はやられっぱなしだったみほたちが個性を活かして逆転していき、最後は西住姉妹の絆によるラストショットで決めるのは分かっていても泣かせる。あまりにも多すぎるキャラにそれぞれ活躍するシーンを作るファンサービスも十分の素晴らしい劇場版だ。強いて言うならまた廃校かよという感じだが、まあオールスターをやるための方便みたいなものだからそこしょうがないと許容している。

 

以前に配信で一度視聴していたが、それでも色褪せない面白さだったので本当に出来が良い劇場版なんだろうけど、今回言いたいのは内容の話ではない。音響だ。

 

 

本当に音が凄かった!

 

 

音圧が強すぎて、砲撃のときに本当に衝撃波を浴びてるんじゃないかと錯覚してしまうほど。4DXじゃないのに。それでいて音割れもしていないデリケートな調整の上で成り立っているのだが、正直ずっとこの水準の音響で観てたら難聴になると思う。それくらい強烈。戦争映画でもここまでの爆発音鳴ってるのは聞いたことがない。

 

自衛隊にいたときに、大学選抜チームとの試合の舞台にもなっている東富士演習場で、歩いている横を戦車が通っていったり、遠くの方で射撃している音が山で跳ね返ってちょっとした落雷の音のように聞こえたのだが、そういう実際の経験を上回っている。

 

もしこれが戦争だったら爆撃や砲撃の音に晒され続けたら戦争神経症PTSD)にでもなりかねないが、あくまで安全な戦車道ということもあって、実際に衝撃で身体が震わせられるとなんだか血肉湧き踊ってきて興奮状態になってくる。これは家では起こらなかった、劇場ならではの副産物だった。

 

総集編のマウスも相当だったが、劇場版にもカール自走臼砲やT-28重戦車などの大物が登場し、筆舌に尽くしがたい轟音を響かせているのだが、一番ビックリしたのは観覧車が落ちたときの音かもしれない。なんか想像よりずっとヤバい音だったという意味で。

 

いやーそれにしてもいい思い出になった。もう一回ぐらい劇場で観てもいいと思えた。今度は4DXで。

 

 

『君を愛したひとりの僕へ』鑑賞。

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『僕を愛したすべての君へ(以下、僕愛)』を観たので結局『君を愛したひとりの僕へ(以下、僕愛)』も観ることにしたのだが、観るまえからある程度分かっていたものの、やはり後から観た方は”答え合わせ”という視点がどうしても入ってくるので、単独の作品として評価するのは難しい。よってここでは両方を観た感想を述べる。

 

『僕愛』の時点でもう片方の並行世界、すわなち『君愛』での出来事を匂わせるシーンが随所に存在していて、これはどういうことだったのか? と思いはするものの意味は分からないなりに『僕愛』は楽しめたのだが、『君愛』は『僕愛』とほぼ表裏一体の物語になっていて、確かにパズルの空白が埋まっていくような面白さはあった。『僕愛』の結末も、その人はつまりあの人なんでしょ? と根拠が無いなりに想像はできるのだが、『君愛』を観た今なら確信へと変わった。

 

『僕愛』のヒロインは瀧川和音というメガネっ娘、『君愛』のヒロインは佐藤栞という白いワンピースの女の子なのだが、『僕愛』でヒロインを務めつつ『君愛』でも重要なポジションの存在である和音に対して、栞はほぼ『君愛』のみに関与するキャラクターである。

 

自分は『僕愛』を先に観たせいで、どうしても和音の方に感情移入してしまい、周囲を顧みず何がなんでも栞を助けようとする主人公にあまり共感できなくなってしまった。『君愛』における和音の心情が『僕愛』において語られるせいである。そういう意味では確かに『僕愛』から観たら切ないラブストーリーだった、と言えるかも。和音目線で。

 

そして両方の作品に共通するのは、ヒロインとの恋愛パートはダイジェスト気味であるということだ。『僕愛』の感想でも述べたように、主人公の幼年期からヒロインとの出会い、そして老年期に到るまでの話なので、人生の一部分でしかない青春時代に割かれている尺は決して多くない。少年期の思い出のままの栞よりも、人生のパートナーとして長い付き合いのある和音の方には、愛情はともかく情が湧いてしまうのである。

 

言うなれば『僕愛』の主人公は和音であって、『君愛』の主人公は暦という男の子なのだ。栞に対してあまり思い入れが強くならないのも当然なのかもしれない。原作には三冊目の『僕がきみの名前を呼ぶから』という栞が主人公の作品があるらしく、それを読めばまた違った感想を抱くのかもしれない。

 

『僕愛』はグレッグ・イーガンの短編っぽいという印象を抱いたのだが、『君愛』は敢えていうなら『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』っぽいかな……。同じ登場人物・設定を下敷きにしているわりには物語の印象がだいぶ異なるのは間違いない。

 

ストーリーの個人的な好みは『僕愛』の方である。こちらの世界では、平行世界への移動を視覚的に表現する装置というのがあって、それによって人の同一性に悩むというある種の哲学的な問いかけにもなっていたのだが、『君愛』ではその設定がほぼ有形無実なため、自分の中にあるSF作品好きの部分があまり燃えてくれなかった。

 

作画演出や声優に関しては既に一作観ていたせいで慣れていたのか、そこまで違和感は感じなくなっていた。それよりも両方観たことで発生する一つの問題がある。それは重複している部分が結構多いということだ。

 

両方の作品に共通して、もう片方の世界であった出来事のダイジェストが流れるのだが、『僕愛』では見せ方にまだ工夫があったのに対して『君愛』ではただの垂れ流しだったのには困った。分かりきっていることをもう一度見せられるのは退屈極まりない。もし二本続けて観ていたのなら、その感情はさらに増幅されていただろう。一日開けていた自分にとっても、あまりにも同じ過ぎて観ている方の頭がおかしくなったのかと不安になったくらいである。しかも結構長いのだ、これが。

 

結論としては、観る順番で結末が変わるという宣伝文句だが結末が変わるというより誰に、どこに軸足を置いて観るかが変わるというくらいの違いである。映画二本観させる企画のための作品という感じで、他人に強く勧められるものではない。

 

しかし両方見るつもりなら『君愛』から、片方だけ見るつもりなら『僕愛』だけ、という感じになるだろう。自分から言えることはそれだけだ。

『僕が愛したすべての君へ』鑑賞。

自分はメガネっ娘が好きだ。思い返せばそれを初めて意識したのは中学生の頃で、女の子がたくさんいる中にメガネっ娘がいたらその子しか見えなくなる程度にはメガネっ娘が好きなのだが、『僕が愛したすべての君へ(以下、僕愛)』はメガネっ娘がヒロインっていうのは珍しいから観てみようかなという、軽い気持ちで観に行ったら火傷するようなSFスリラー映画であった。

 

この作品は『僕愛』『君が愛したひとりの僕へ(以下、君愛)』という同時上映の二つの作品を、どちらから先に観るかで結末が変わるという触れ込みの作品のうちのひとつである。予告映像では『僕愛』から見るとちょっと切ないラブストーリーで、『君愛』から見ると幸せなラブストーリーになるらしい。しかし今回はそんなの関係なくメガネっ娘がヒロインで出ている方を観た。

 

平行世界の存在が観測され、人間が知らず知らずのうちに意識だけ並行世界に移動していることも珍しくなくなっているような世界で、たくさんの選択の積み重ねの中、愛する人が自分の隣にいる奇跡を噛みしめる……真正面から捉えるならそんなSFラブストーリーであるはず。

 

キービジュアルからは学園青春ラブストーリーなんだろうなというような印象を受けるが、この作品はそういう部分もあるというだけで、実際には全然違うものが出てきた! という感じが凄い。なにせ主人公の幼少期から始まり、高校在学時にヒロインと出会ってから老衰して死ぬ直前までが描かれるという非常に長期のスパンにわたった長い人生の物語なのである。

 

個人的には平行世界を観測するどころか、任意で平行世界への移動も可能な世界だともっと人類社会に変革が起きていてもおかしくないと思うのだが、この作品については並行世界の描写は主人公とヒロインまわりだけに留まっている。まあ真面目にやり始めたら絶対収拾がつかなくなるだろうからそれは仕方のないことだろう。

 

自分が知らないうちに平行世界の自分と入れ替わっているなどということもあると序盤から描写されていて、気付いたら隣にいる人が外見だけそっくりの別人(並行世界の本人だとしても、記憶を共有していないのなら別人と言っても差し支えないだろう)と入れ替わっているということも起こり得るのだ。

 

そして並行世界から自分の元いた世界に戻ってくるときでさえ、完全に一致した状態にならない場合もあり、元の世界に戻ってきたはいいけれど、以前の人と完全に一致はしていないものの、限りなく元の人に近いのだから受け入れよう! なんてシーンは個人的にはホラーとしか思えなかった。

 

平行世界に移動可能なんて、絶対悪用する人が出てきてそれに対抗する警察みたいなものも存在して、お互いに阻止し合う『TENET』みたいなわやくちゃな状態に絶対なるだろ……とか頭の中でつい考えてしまうが、そういう話にはならない。一応所轄の公官庁が平行世界の移動を監視している設定らしいけど。

 

なんというかアニメという皮が被さっているだけで、グレッグ・イーガンの短編作品じみた、特定の科学技術の革新で人類の意識に少なくない変容が起こっているエクストリームな世界観を描いているSF作品なのである。正直言うと、並行世界の移動を扱いつつも設定だけ軽く使っている程度のSFアニメなんだろうなという、観る前に抱いていたイメージとは全然違うものが出てきてかなり面食らったのだが、テーマとしては結構好きな部類だから困る。

 

ただ劇場用アニメ作品としてはキャラクター作画と背景美術の情報量が少なめで、かつ見せ方も平凡なこともあって、あえて劇場の大スクリーンで見る価値があるか? と問われれば首を横に振らざるをえない。一番のウリであるはずの、高校時代のヒロインがあんまり可愛く見えないシーンが多いのはもうちょっと頑張ってくれよ! と思ってしまう。描写としてヒロインが可愛いシーン自体はあるのだが。

 

そして主人公のモノローグが主体となって話が進むのだが、はっきり言って主人公の声優が下手で物語への没入を妨げる程度には酷い。『夏へのトンネル、さよならの出口』でも主人公の声がちょっといまいちかなと思ったのだが、それに二つくらい輪をかけて酷いのが出てくるとは思わなかった。最近はプロ声優じゃなくてもそこそこ上手いなと思える芸能人声優が多かっただけに、今回はかなりの苦痛を味わった。

 

今の時点では『君愛』の方も観るかどうかは正直かなり迷っている(主人公は同じ、すなわち声も一緒だから)。だが片方見たのだから毒喰らわば皿まで……という感じで観るのも悪くないかもと思っている。やろうと思えばSF設定についてはいくらでも語れそうな奥行きを感じてしまうから。

 

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スカイリム日記24『シルバーハンド』

 

今日はロリクステッドのすぐ側にある、大蛇の崖要塞というところに来ていた。同胞団にホワイトランの馬宿の主人スカルヴァーが攫われたという報せが届き、ちょうどそのとき手の空いていた俺に仕事が回ってきたというわけだ。最近は相変わらず鍛冶・錬金・付呪の練習にもっぱら時間を割いており、日々成長の喜びを感じていたのだが、わが街の一大事となれば行かないわけにもいかなかった。

 

 

スカルヴァーを攫ったのはフォースウォーンと呼ばれる、マルカルス周辺を根城にしている原住民のブレトンたち……つまり自分と同種族だったのだが、どんなに大義があろうとも俺とってはもはや山賊と見分けがつかないし、なぜホワイトランから人を攫ったのかもどうでもよかった。野蛮な相手には容赦する必要はあるまい。

 

 

スカルヴァーをホワイトランに連れて帰る頃にはもう夜が明けていた。一応ジョルバスクルに報告へ行くと、スコールが呼んでいる。また割に合わない仕事なんじゃないかと少し身構えたが、どうやら今回は違うようだ。

 

夜、誰もが寝静まったような時間帯に”アンダーフォージ”という場所へ来いというのがスコールからの伝言だった。アンダーフォージというのは鍛冶場であるスカイフォージの直下にある、秘密の場所のことらしい。昼間に行ってみると、確かに壁に切れ目があって何かの入り口になっていそうなのだが、入り方が分からないので素直に夜を待つことにする。

 

 

深夜になってからアンダーフォージに向かうとスコールが待ち構えていた。そしてどうやったのか知らないが石の扉を開けると暗い空間の中へと俺をいざなう。入って最初は夜目が利かずよく分からなかったのだが、隙間からわずかに差し込む月明かりに獣の影が浮かび上がってくる。四足のものではなく、ダストマンの石塚でファルカスが見せたあの姿と同じだ! だがスコールはその獣人(ウェアウルフ)は”狩猟の女神”アエラが変身したものだと落ち着き払って言った。

 

 

そこで今回呼び出された理由について理解した。彼らは俺を……獣人にしようとしているのか? 導き手のコドラクが獣人を治したいと思っていることは彼らも知っているようだが、コドラク以外の同胞団幹部はそのことが気に食わないらしく、最近仕事で功績を上げている俺を無許可で新たに仲間入りさせたいらしい。

 

スコールは俺に獣人になりたいかどうか尋ねてきたが、この秘密を知ってノーと言える度胸は無かったし、何よりアエラやファルカスは獣のまま理性を保っており、それほど邪悪な力には思えなかった。部屋の中央の大きな石の盃に、アエラが自ら傷つけた場所から血が注がれる。俺はひとくち、その血を掬って飲むと意識を失った……。

 

 

目覚めると俺はアンダーフォージの外にいた。そして獣へと姿を変えていた。自分の身体なのに、自分の身体ではないかのようだ。沸き起こる破壊衝動が抑えられない。今誰かに出会ったら、有無を言わせずバラバラの惨殺死体へと変えてしまいかねない。なんとか意識をジョルバスクルの裏手の誰もいない方へ向けると自然と足がそちらに動く。そうして獲物を求める本能のままにふらふらと彷徨っていると、ふたたび意識を失った。

 

 

ふたたび目が覚めると今度は人の姿に戻っていた。そして松明を持ったアエラが顔を覗き込んできた。確かに俺は、獣人になったらしい。獣人としてより強くなりたかったら人の生き血を啜ることだ、と彼女は言う。コドラクと違って獣人であることに誇りを持っているのだ。

 

そのためにお誂え向きの存在が、この先にある古い砦ギャロウズ・ロック占拠しているという。きっと獣人狩りのシルバーハンドたちのことだろう。既にスコールが斥候に向かっており、どうやら俺に拒否権は無いようだ。俺は渋々そのシルバーハンド狩りに同行した。

 

 

しばらく進むと砦が見えてきた。アエラは生身でも強いので、今回は遠慮なしに正面突破を試みたが、やはりシルバーハンドたちは結構な強さと数を誇り、囲まれるとさすがにだいぶ不利になる。一人で斥候に向かったというスコールももしかしたら危ないんじゃないかと思うが、仮にも同胞団のサークルの一員なのだから、心配しすぎかもしれない……。

 

 

砦の牢屋の中には既に捕らえられていた獣人の死体があり、不安はより募った。そしてここの首領は”皮はぎ職人のクレヴ”という名で知られる残虐極まりない男であるという話を聞き、緊張感は頂点に達する。そして奥の広間にたどり着くと、嫌な予感が的中してしまったことを悟った。シルバーハンドたちの側に転がる死体はまさにスコールのものである。それを見るやいなやアエラは激昂して広間の中に躍り出た。そして俺も静かな怒りを燃やしていた。

 

 

アエラはシルバーハンドたちの迎撃をものともせずあっという間に死体を増やしていった。その暴れっぷりに近づくのは不可能に思え、遠くから魔法で援護していたのだが、皮はぎ職人ことクレヴが俺の存在に目をつけた。奴の強力な剣の振り落ろしは直撃こそしなかったものの、こちらの体勢を大きく崩され魔法の狙いをつけることすらままならない。ここはアエラをあてにして、クレヴを引き付けつつ逃げる! すると雑魚を片付けたアエラがこちらに駆けつけ、クレヴと相対した。

 

グレートソード同士の撃ち合いは見た目にも迫力がある。しかし背中が完全にお留守だ。俺はマジカが切れていたこともあり、鍛冶と付呪の練習中に作った護身用の電撃ダガーで背後から強襲し、首を一閃する。クレヴはヒュッという断末魔の声をあげて倒れた。

 

 

アエラの怒りはクレヴが倒れた後も収まらなかった。彼女はこの砦に残党がいないかどうかこれから確認するという。先にスコールを荼毘に付し、俺は一足先にホワイトランに戻って事の次第を報告した。同胞団の団員たちはスコールの訃報に誰もが衝撃を隠せないようだった。付き合いの短い自分ですらそうなのだから、もともとの団員たちにとってはなおさらのことだろう。

 

俺は獣人になってしまったし、少し心の整理が必要だと思った。俺は同胞団から少し距離を置き、まだ訪れていない要塞へ足を伸ばしてみようと考えたのだった。

 



 

【続く】

『響け!ユーフォニアム』聖地巡礼の思い出1

いまさら言うまでもないが、自分は響け!ユーフォニアムシリーズのファン……のつもりである。出会いは3年ほど前で、リアルタイムの視聴者というわけではなかったのだが、後追いでファンになった。今でこそだいぶ落ち着いたが、初めて観たときはそれこそ熱狂していたし、作品の舞台が京都ということでもちろん聖地巡礼にも赴いた。2019年の夏のことである。それ以後はコロナの影響もあり、京都には行けずじまいだ。

 

本来ならウキウキ気分で行くはずだったのだが、その直前である事件が起きた。そう、京都アニメーション放火殺人事件である。その影響で心身ともに優れない日が続いていたものの、新幹線や宿を予約した金をドブに捨てるわけにもいかないので、無理してでも京都に行くことにしたのだ。

 

8月13日、修学旅行以来の23年ぶりに京都の地に降り立つ。京都駅といえば平成ガメラガメラとイリスが戦ってたところだなくらいのイメージしかなかった。事件以降少しづつユーフォ以外の京アニ作品を観始めたところだったのだが、他に京都駅が登場する京アニ作品の『たまこまーけっと』や『けいおん』はこのときまだ未視聴であった(追記:『映画 中二病でも恋がしたい!-Take on Me-にも京都タワーが登場するので、一応出てると言えば出てる)。

 

現在は京阪とのコラボで京都タワーや、ホテルでのユーフォアニメとのコラボ部屋や、コラボカフェなんかをやっているはずである。個人的には部屋にイラスト貼り付けただけのコラボ……みたいなのはあまり興味がないので、スルーしている。

 

 

ユーフォにおける京都駅は2の第七回『えきびるコンサート』の北宇治高校の演奏のイメージが強い。副部長の田中あすかの離脱で部員に不安が広がる中、泣き虫部長の小笠原晴香がリーダーシップを取り、難易度の高いバリサクのソロパートをやってのけるなど、演奏会の定番曲『宝島』の軽快なサウンドも相まって何度も観てしまうシーンのひとつである。

 

 

ビックカメラJR京都駅店付近。アニメで観ている分にはなんてことないシーンだったが、実際に行ってみると楽器搬入の大変さがよく分かる。エレベーターとか、ないんだね……。

 

 

演奏前に久美子たちが待機していた南遊歩道。アニメを知らない人にとってはあまりにもなんでもない場所だったので、写真を撮っているのを見た通行人が訝しげに見ていたような気がするが、被害妄想かもしれない。

 

 

京都駅をしばし堪能した後は、地下鉄烏丸線に乗って北山駅へ向かう。作品の主な舞台である宇治へ行く前に、作品に登場するスポットがありつつも数が少ない京都駅の北側を回ってしまおうと考えたのだ。北山は一期の最終回で吹奏楽コンクール京都府大会が開催された、京都コンサートホールのあるところだ。しばらく電車に揺られ、駅から降りると大きな植物園の隣接する場所にそれはあった。

 

 

京都コンサートホールを訪れたときはまだ午前10時くらいだったが、既に気温が35度は越えていたと思う。人っ子ひとりいなかったので写真を撮るには都合が良かったのだが、陽の光を遮るものもなかったので意識は朦朧としていた。自分には確かに北宇治高校吹奏楽部の面々が集合写真を撮影している場面が見えていたのだが、夏の暑さによる幻覚だったのかもしれない。

 


この後歩いて出町柳駅まで行こうなどと考えてしまったのは、今思えば痛恨の極みであった。地図上で想像していたよりも距離があり(徒歩40分ほど)、暑さのせいで体力の消耗が激しく、その後の行動に支障が出てしまった。


出町柳は『響け!ユーフォニアム』のアニメにはまだこのとき登場していなかったのだが、原作小説の久美子三年生編においては既に登場することが分かっていた。アニメで三年生編をやるときも、きっと重要な場面で登場するはずである。他にも『たまこまーけっと』と『けいおん!』でも出町柳、及び鴨川デルタが出てくるので京アニファンとしても外せない場所だろう。前述のとおり今回はとくに用事が無いため、京阪本線に乗って次は三条駅へ。

 


三条駅から徒歩でロームシアター京都へ。素直にバスを使えばいいものを、なんでこの日は歩いていこうと考えてしまったのか。ここは『劇場版響け!ユーフォニアム 誓いのフィナーレ』で吹奏楽コンクール関西大会が開催された場所である。秋には定期演奏会が開催されるなど、京アニとも縁が深い。自分も同じ年にもう一度訪れることになるのだが、それはまた別の話である。

 

 

コンクール終了後に部長の優子が演説した木は、作品の記憶がまだ新しいこともあってすごく感動したのをよく覚えている。ダメ金が確定して泣き崩れた後でも部長として気丈に振る舞う優子の姿は、一期で部内の秩序を乱して好感度が低かった頃に比べると立派に成長したものだと感慨深くなる。劇場版でも特に印象的なシーンだ。この後一時間ほど休憩し、いよいよ宇治へ向かう。

 

続きはまたいずれ。