四十の一部始終

今年で四十歳になりました。二日に一回更新が目標。

『Gのレコンギスタ』を復習した。

7月22日に劇場版の第四弾『激闘に叫ぶ愛』が公開される。

TVシリーズにおける19話から22話の内容になるはずだが

第四弾から新規のシーンの割合がかなり増えるらしく、期待は高まる。

 

TVシリーズは一度通しで見ているが

劇場版の前にはちゃんと該当話数を見返してから行くことにしている。

劇場版は、はっきりいってかなり分かりやすくなっていた。

TV版は不親切というか、あの世界における当たり前のことを

あえて説明してくれないので、視聴者に対する忖度はまるで感じられない。

重要なシーンもそうでないシーンも演出がフラットなため

サラっと出てくる重要な情報も右から左へ通り過ぎていってしまうことが多かった。

そのせいで今何してるんだっけ?なんであそこに行くんだっけ?

みたいな感じになることもしばしば。

登場人物の感情を追いかけるのもなかなか骨で

突然エキセントリックな言動をしはじめるようにも見える。

巻き戻して何度か見ると、そういうことなのかな?とようやく少し理解できる。

なんだか面白そうに見えない書き方になったが、個人的には面白い…と思う。

 

ただ言うまでもなく戦闘シーンは絶品である。

富野由悠季の描くロボット物のアクションシーンは

その世界にそのメカがあるんだからそういった使い方をされるはずである

という納得が大いにある。

ロボットのメカニズムを十全に発揮して描かれるバトルは

逆襲のシャア』などが特に顕著だがGレコでも今だ健在で、期待するしかない。

 

2014年から始まったGレコも、来月でようやく終わる。

なんだかんだで長い付き合いになった。

マイナンバーカードを申請した。

今までやってなかったのは面倒くさい(と思いこんでいた)からだが

実際やってみるとそうでもなかった。

 

三連休中、ふと思い立ちようやく申請書の封を開けた。

ポイントで配布とかケチくさいなと思っていたが

これが事実上の給付金となると、貰わないと損かもしれないと

ようやく理解したからでもある。でもやはり現金じゃないのはケチだと思う。

 

ふむふむ…今は証明写真ボックスからでも申請できるのか。

便利な世の中になったもんだ。これなら俺でもできそうだ!

そう思ってからは早かった。書類そのものは9割方すでに埋まっているので

自分で書くところはほとんどない。つまりは写真さえあればどうにかなる。

 

しかし証明写真ボックスからの申請は、メーカーが限られているようだ。

マイナンバーカードのサイトから該当するメーカーを調べ

自宅周辺ににある該当の証明写真ボックスを検索すると

すぐ近くのコインランドリー前にあるのがわかった。

一応証明書の写真なので、身支度を整えてからボックスに向かう。

 

幸い先客はいなかったのでさっそくボックスに入るが

ここは申請できるボックスでは無いらしい。それもそうだ

申請機能のあるやつは最新機種だけ…つまり最近置かれたボックスに限る。

前からあったものでは出来ないのは当然なのだ! 俺が馬鹿だった。

 

しかし写真を撮りさえすればあとは書類を投函するだけ。

だからここで申請できようとできまいと、手間はもはや変わらない。

早速写真撮影だ。久々の自撮り写真。あまりにも自分の顔が変で違和感しかない。

もう一回撮るか…とやり直すも、余計に変な顔になる。

一回900円…どうする? やり直すか? …もういいやこれで!

その後、書類の不備で差し戻されないことを祈りながらポストに投函した。

 

続きは一ヶ月後(たぶん)

あの日から三年。

お昼のニュースを見ると、京都での火災の映像が流れている。大惨事だ。

こりゃ大変だなと思い昼食を食べながらなんとなく眺めていると

そこが見知った場所であったのを理解し、スッと血の気が引いていく。

そのときの衝撃は、多分死ぬまで忘れることはない。

 

京都アニメーション放火殺人事件、と今では呼ばれている。

赤の他人の死にあそこまで傷付いたのは初めてのことだった。

二週間くらいはやる気も出ず、食欲も湧かず、落ち込んでいた。

2019年の春にたまたま『響け!ユーフォニアム』を見てしまい

ちょうど京アニにどっぷり嵌っていた頃だったのだから。

 

京都アニメーションの名前は有名だったが、2019年までは個人的な関わりは薄く

涼宮ハルヒの憂鬱』や『らきすた』を少し見たことがある程度に過ぎなかった。

『劇場版響け!ユーフォニアム 誓いのフィナーレ』の公開から1ヶ月強過ぎ

続編の計画が進行中であると発表されたのが2019年の6月のこと。

凝り性だった自分はブルーレイや副読本などを購入し

作品や制作スタッフの知識を貪欲に吸収していた。

当時の自分は浮かれに浮かれていた。

 

あの事件はそれからたった一ヶ月と少し後の出来事だった。

天国から地獄に突き落とされたような気分だった。

最初の鬱状態から復帰した後は、寄付金や公式ショップでのグッズ購入

作品の啓蒙活動をするとともに、自分も配信されている全ての京アニ作品を視聴した。

男性向け女性向け問わず。

そうすることで事件の衝撃から気を紛らわせることができた。

 

はっきり言ってその犯人がどうだとかいう話をするつもりはない。

どんな辛い境遇であろうと、行動に移したらもう同情の余地はないし

犯人に憎悪をぶつけるのも時間の無駄だ。粛々と司法の裁きを待つ。

故人を偲んで、ただ祈るのみ。

 

あれから三年経った。

世間の反応を見ると、だんだん記憶から記録の出来事へと変わりつつあるのを感じる。

京アニ自身も組織の再建が進みつつあるようだが、現在は寡作傾向にあり影が薄い。

作品のクオリティで追随するアニメスタジオもいくつか現れてきて

技術的にも業界のトップランナーとは必ずしも言えなくなってきている。

無理もない、あんな事件があった後では。

 

だが『響け!ユーフォニアム』アニメの企画は再び動き出し

来年には中編アニメが公開、再来年にはTVシリーズが始まるという。

あの作品のクオリティを出せる段階まで戻ってきたと、信じていいのだろうか?

もっと時間がかかると思っていたが、あと最低二年は生きる理由ができた。

俺も頑張らなければ。

 

©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

『ボイリング・ポイント/沸騰』鑑賞。

37分ワンカット映画、という体裁の作品だった『カメラを止めるな』

そのリメイク作品と上映時期が被るとは、偶然にしては出来すぎている。

それが今回の約90分のワンカット映画『ボイリング・ポイント/沸騰』

 

クリスマスのロンドン、その片隅にある結構繁盛しているレストラン。

そこの従業員は各々問題を抱えていて、トラブルの種は枚挙に暇がない。

予約は一晩に100件。それ以外にも想定外の客が次々に訪れる。

絶対に何かが起こる。開店前にあるミーティングの

僅かなやりとりだけで、観客はそれを確信する。

店がオープンし、従業員の一人ひとりをひたすらにカメラが追いかけていく。

いつか訪れる破綻のときを待ちながら…。

 

この作品は何と言っても、ミスが許されないワンカットという映像のドキドキ感と

このレストランにいつ致命的なエラーが訪れるのかというハラハラ感の二重奏。

序盤で分かる、この店はヤバいぞと感じさせる要素の出し方が秀逸。

おかげで残りの80分に渡って緊張感と付き合い続けていくことになる。

普通の映画だったら多少は箸休めのシーンがいくつかあるものだが

ここの映画では何でもないようなシーンでも緊張感が続く。

だから観た後非常に疲れた…。

 

その分ストーリーはそれほど凝ったものではなく、あまり印象には残らなかった。

それぞれ抱える事情を小出しにしながら、次々に店に訪れるトラブルが見どころで

観客はいつ脱線するか分からないジェットコースターに乗せられているようなもの。

そのスリルを楽しむ映画なんだろうと思う。

しかし、まぁそうなるよねと思いながらも、最後の瞬間は切なかった。

 

考え抜かれた導線と、休む暇もないカメラマンの苦労には感嘆せざるをえない。

そんな映画だった。

『グレイマン』鑑賞。

キャプテン・アメリカ ウィンターソルジャー』は衝撃的だった。

自分のガキっぽいアメコミヒーロー映画の概念を塗り替え、MCUの世界にいざなった。

ヒーローとしての輝きと、骨太のアクション・サスペンス。

そこでルッソ兄弟クリス・エヴァンスの存在を明確に認識した。

その後もMCUを見続けたのは

『ウィンター・ソルジャー』よもう一度という夢を見続けたからに他ならない。

 

ルッソ兄弟とクリエヴァ再び。それを知ってしまったら期待せずにはいられない。

とは言っても主演はライアン・ゴズリングでクリエヴァは敵のクソサイコ野郎だ。

あることがきっかけでCIAに追われることになった

CIAの暗殺者である主人公シエラ・シックス。

東南アジア・欧州・北米を転々としながら

CIAの差し向けた暗殺者の攻撃に次々と晒されていくのは

ロケ地のテロップも相まって『シビル・ウォー』と似たテイストがある。

 

空に陸にとアクション的な見せ場も多いし面白かったが

『ウィンター・ソルジャー』と『シビル・ウォー』を足して割ったような

印象がどうしても拭い去れなかった。

あと何か…目的がちょっとショボいというか

CIA本部長が失脚するかどうかでこれだけの騒ぎ起こすのは

犠牲者も生存者も含めてみんなあまりにも報われないので

ご苦労さま…という感じになった。

 

この映画だけではやや消化不良感があり

敵の黒幕やら作中でのトラブルの元凶などが

特に裁きを受けることもないのでちょっとモヤモヤが残った。

なんだか続編やりそうな終わり方だな。

『神々の山嶺』(アニメ版)鑑賞。

漫画版の作画を担当した谷口ジローは、フランスで絶大な人気を誇るらしい。

孤独のグルメは日本でも人気の作品だが、そういったレベルではないようだ。

この恐ろしいまでにストイックな登山アニメは、だからこそ可能になったのだろう。

できれば冷房の効いた古びた映画館で、凍えながら見るのが正しい鑑賞方法だ。

 

時間の関係で原作からはだいぶバッサリと削られている。

まるで山に登るときに持っていく荷物を切り詰めるように

羽生丈二という男の生き様だけにフォーカスが当たる。

もうひとりの主人公であるはずの深町すら

この映画では大して掘り下げられてはいない。

重要人物のはずのアン・ツェリンはモブだし

羽生の内縁の妻や子供の存在にすら触れられないくらいだ。

そういうものは羽生の生き様を語るには余計だった、と判断されたということか。

 

上映時間は90分ちょっとしかない。

それに合わせてか設定もちょくちょく変更が加えられている。

途中に出てくる羽生を慕う後輩であるところの岸文太郎。

漫画では二十歳前くらいだし、涼子は妹だったが

アニメの文太郎は中学生くらい?に見えるし涼子は姉になっている。

羽生の繊細な精神に与える影響は、たしかにこの幼い岸のほうが強いかもしれない。

 

冒険ミステリーとポスターにデカデカと書いてあるが

マロリーのカメラの件はたいして重要ではなくなっている。

漫画版は確かにミステリー要素があるし、カメラを巡って起こるひと悶着がある。

しかしこのアニメ版では当然そんなものはカットされている。

カメラは単に話のきっかけに過ぎない。

そう、描かれるのはひたすらに羽生丈二の生き様だけなのだ。

 

山岳系の映画はいくつか見たことがある程度だが

この映画の登山描写のリアリティは一番だった。

雄大なエヴェレストに挑む

神のような視点から描かれるまるで点のような人間の存在。

聞こえるのは人の息遣いと、風の音。

打ち付けるアイスピッケルとアイゼンの音。

原作では登っている最中も多数のモノローグや一人言があるが

この映画では山を登り始めると台詞はほとんど無くなる。

男二人の息遣いASMR状態。

どうして山に登るのか。なぜ人は生きるのか。

そういった禅問答もなく、ただ山を登る。

その姿はあまりにもストイック過ぎた。

 

個人的に気になる点は、登山開始後に食事シーンがほとんど無いところ。

漫画の食事シーンは何が何でも生き残るという、生への渇望が感じられるのだが

実写版と同じように食事のシーンはほぼカット。そこだけは残念。

 

全てを捨てて山に挑む。

自分には羽生のような生き方は選べない。

だからこそどうしようもなく憧れてしまう。

漫画版ではそのあまりに苛烈な生き方に涙すらしてしまったが

アニメ版では描写が切り詰められすぎていてそこまで行けなかった。

しかし原作とは多少切り口は異なるが、これはこれでアリだと思わせられる

いいアニメだったと思う。

戻り梅雨

天気予報を見ると梅雨前線が復活しているじゃないか!

ウチは農家なので、今の時期の雨は非常に困る。

ほとんど何もすることが無いからだ。

 

枝豆とトマトが主力商品であることは以前の日記に書いたが

小規模の農家なので午前中ちょっと収穫するくらいで一日分が終わってしまう。

晴れてさえいれば庭木の手入れなど、やらなければならないことは山積しているのに

雨が降っているせいで何もできない。

 

仕方がないので筋トレや読書、映画・アニメ鑑賞に精を出しているが

なんとなく罪悪感があって素直に楽しめないところはある。

今週一杯の辛抱だ。