四十の一部始終

今年で四十歳になりました。二日に一回更新が目標。

『神々の山嶺』(アニメ版)鑑賞。

漫画版の作画を担当した谷口ジローは、フランスで絶大な人気を誇るらしい。

孤独のグルメは日本でも人気の作品だが、そういったレベルではないようだ。

この恐ろしいまでにストイックな登山アニメは、だからこそ可能になったのだろう。

できれば冷房の効いた古びた映画館で、凍えながら見るのが正しい鑑賞方法だ。

 

時間の関係で原作からはだいぶバッサリと削られている。

まるで山に登るときに持っていく荷物を切り詰めるように

羽生丈二という男の生き様だけにフォーカスが当たる。

もうひとりの主人公であるはずの深町すら

この映画では大して掘り下げられてはいない。

重要人物のはずのアン・ツェリンはモブだし

羽生の内縁の妻や子供の存在にすら触れられないくらいだ。

そういうものは羽生の生き様を語るには余計だった、と判断されたということか。

 

上映時間は90分ちょっとしかない。

それに合わせてか設定もちょくちょく変更が加えられている。

途中に出てくる羽生を慕う後輩であるところの岸文太郎。

漫画では二十歳前くらいだし、涼子は妹だったが

アニメの文太郎は中学生くらい?に見えるし涼子は姉になっている。

羽生の繊細な精神に与える影響は、たしかにこの幼い岸のほうが強いかもしれない。

 

冒険ミステリーとポスターにデカデカと書いてあるが

マロリーのカメラの件はたいして重要ではなくなっている。

漫画版は確かにミステリー要素があるし、カメラを巡って起こるひと悶着がある。

しかしこのアニメ版では当然そんなものはカットされている。

カメラは単に話のきっかけに過ぎない。

そう、描かれるのはひたすらに羽生丈二の生き様だけなのだ。

 

山岳系の映画はいくつか見たことがある程度だが

この映画の登山描写のリアリティは一番だった。

雄大なエヴェレストに挑む

神のような視点から描かれるまるで点のような人間の存在。

聞こえるのは人の息遣いと、風の音。

打ち付けるアイスピッケルとアイゼンの音。

原作では登っている最中も多数のモノローグや一人言があるが

この映画では山を登り始めると台詞はほとんど無くなる。

男二人の息遣いASMR状態。

どうして山に登るのか。なぜ人は生きるのか。

そういった禅問答もなく、ただ山を登る。

その姿はあまりにもストイック過ぎた。

 

個人的に気になる点は、登山開始後に食事シーンがほとんど無いところ。

漫画の食事シーンは何が何でも生き残るという、生への渇望が感じられるのだが

実写版と同じように食事のシーンはほぼカット。そこだけは残念。

 

全てを捨てて山に挑む。

自分には羽生のような生き方は選べない。

だからこそどうしようもなく憧れてしまう。

漫画版ではそのあまりに苛烈な生き方に涙すらしてしまったが

アニメ版では描写が切り詰められすぎていてそこまで行けなかった。

しかし原作とは多少切り口は異なるが、これはこれでアリだと思わせられる

いいアニメだったと思う。