四十の一部始終

今年で四十歳になりました。二日に一回更新が目標。

本所七不思議めぐりの思い出。

最近『パラノマサイド FILE23 本所七不思議』というSwitchのゲームをちまちまとやっている。1980円という非常にお手頃価格ながら、入り組んだストーリーのアドベンチャーゲームでなかなか面白いのだが、一番惹かれたのはその題材であった。

 

本所七不思議。

 

数年前、東方鈴奈庵という漫画で本所七不思議のネタが扱われたときに、一度現実の本所七不思議めぐりをしたことがあったから。そのおかげか妙にゲームに対して親近感というか親しみを感じてしまったのである。

 


ところで今”本所七不思議”と調べてみると、墨田区のサイトがちょうど最新の解答を出している。それを参考にしてみると

 

・置いてけ堀

・落ち葉なき椎

・狸囃子(馬鹿囃子)

・消えずの行灯

・灯りなしの蕎麦

・送り提灯

・送り拍子木

・片葉の葦

・足洗い屋敷

津軽の太鼓

・入江町の時無し

 

の11個が有力候補らしい。七不思議なのに11個とは、四天王なのに五人いるみたいな状態だが、この中でも特に怪談としての知名度が高い『置いてけ堀』と『片葉の葦』以外は語り手や年代によって入れ替わったりしているせいらしい。まあ民間伝承というのは得てしてアバウトなもので、特に最後の”入江町の時無し”なんて今回調べて初めて知ったほどだ。怪談の内容を見てみても、思い過ごしじゃないのかとか気のせいでは? みたいなものも多いので、その中でも特にホラー要素の強い置いてけ堀と片葉の葦が固定されているのは分かる気がする。

 

そんなわけで今回は本所七不思議巡りをしたときの話だ。

 

 

時を遡ること5年前。2018年7月某日、錦糸町駅に降り立つ。夜の街というイメージの強い場所だが、繁華街だけあって当然昼間も人通りが多い。本所七不思議めぐりにあたって最初に目指したのは、駅から歩いてすぐのところにある錦糸堀公園。七不思議のひとつ『置いてけ堀』のあったとされる場所である。

 


錦糸堀公園は『置いてけ堀』の有力候補とされる場所だけあって扱いが大きい。内容には諸説あって河童の仕業であるとする説と、狸の仕業であるという説の2つがあり、錦糸堀公園の置いてけ堀は河童説を取っていて公園の一角に河童の石像がある。まるでこここそが本当の置いてけ堀なのだ!と声高に主張しているかのようである。

 

有力候補と書いたが『置いてけ堀』とされる場所は他に2つある。錦糸堀公園から東に数分歩いたところにある第三亀戸中学校。もうひとつは錦糸町駅からずっと西に行ったところ、隅田川がほど近い日本大学第一中学校・高校。いくら諸説あるといってもさすがに離れすぎじゃないか?と思わなくもないが、人気の怪談だけあって各地でわれこそは置いてけ堀だと主張し合っている。結論が出る日はいつか来るのだろうか。

 

 

錦糸堀公園を後にし、西の方へ歩いていくと大横川の上に作られた全長1.8kmの大横川親水公園に到着しここから公園に沿って北上する。小川と木陰によって他の場所より少しだけある涼しさに助けられながら、法恩寺橋という橋から周囲を探すと法恩寺という寺を発見。この辺りは七不思議のひとつ『送り提灯』という怪談があったとされる場所である。東京スカイツリーが目と鼻の先だけあってめちゃくちゃ目立つ。

 

再び大横川親水公園まで戻り、次の橋まで北上してそこから隅田川方向へ進むと交差点の一角に小さいお寺がある。能勢妙見山別院、この境内にある鴎稲荷大明神では”能勢の黒札”と呼ばれる、江戸時代に大層人気があったという火除けの札を現在も授与しているのだが、それを手に入れられるのは限られた日のみである。七不思議とは関係ないが、東方鈴奈庵に能勢の黒札が出てきたので行ったことを思い出した。

 

 

みたび大横川まで戻ってさらに北へ。すると公園の壁に沿って本所七不思議を象ったレリーフが見えてくる。レリーフは数十メートルにわたって続いて結構見応えがあるのだが、ここに描かれている怪異が墨田区公式の七不思議というわけではないようだ。まあそれでも七不思議の中では代表的なものだと言ってもいいのかもしれない。このレリーフのあるところからもう少し北へ進むと春日通りがあり、そこから大横川公園を出て西へと進む。

 

 

大横川親水公園から歩いて十分かからないくらいのところにある墨田区立本所中学校。この辺りが七不思議『狸囃子(馬鹿囃子)』のあった場所らしいのだが、傍目から見れば普通の学校である。中に入ったら七不思議に関する何かがあったりするのかもしれないが、さすがにそれはできないので外から写真をパチリ。

 

本所中学校から隅田川にぶつかるまで西へ進み、そこから川に沿って南へしばらく歩くと旧安田庭園が見えてくる。ここはかつて平戸新田藩松浦家の屋敷があったとされる場所で、七不思議のひとつ『落ち葉なき椎』がその敷地に存在していたというのだが、その椎の木があったとされるのは案内図でいうところの刀剣博物館があった場所らしい。つまり今は存在しないのである。旧安田庭園の池で泳ぐ亀の姿を見て、ここまで歩いてきた疲れを癒やした。

 

 

旧安田庭園からさらに南下すると両国国技館が見えてくるのだが今回は特に用事がなく、そのまま進んでいくと両国橋が見えてくる。この橋の向こう側は東日本橋である。この橋のたもとにはかつて堀があって、そこが七不思議のひとつ『片葉の葦』の元になった事件が起こった場所であると言われている。男によって女が片手片足を切断されて殺されてしまうという、怪異よりも猟奇殺人事件であることの方が怖い……!

 

両国橋から少し東へ行った回向院というお寺にはねずみ小僧の墓なるものがあったり、その付近には忠臣蔵大石内蔵助に討ち入りされた吉良上野介の屋敷跡があったり、そういった史跡が非常に多いので見るところはたくさんあるのだが今回の目的はあくまで七不思議である。

 

 

来た道を少し引き返して両国駅まで戻り、その裏手に見える巨大な建物・江戸東京博物館の下を通ると錦糸町駅へと続く道、北斎通りへと出る。この北斎通りはかつて南割下水と呼ばれる水路が通っていたのだが、今は埋め立てられて普通の道路である。しばらくはこの道を錦糸町に向かって進む。

 

 

北斎通りを東に行くと緑町公園というそれほど大きくない公園があるが、そこに変わった建物が建っている。あの葛飾北斎を専門に取り扱っている北斎美術館だ。何を隠そうこの緑町公園のあった場所が葛飾北斎生誕の地らしい。そしてこの公園のある辺りが七思議の一つである『津軽の太鼓』があったとされる津軽上屋敷の跡地でもあるのだ。

 

ここにちょうど南割下水の案内板が立っていたので、これで残りの『足洗い屋敷』と『消えずの行灯』も見て回ったことにした。『消えずの行灯』は北斎通りをもう少し行った現在の亀沢二丁目付近、『足洗い屋敷』はそこからさらに錦糸町寄りの亀沢四丁目付近であったとされる怪異なのだが、行っても何もなかったのでどうやらこの辺らしいと自己満足に浸るくらいしかないからだ。

 

 

緑町公園のすぐ側、北斎通り沿いのところには野見宿禰神社という小さな神社があった。相撲の神様である野見宿禰を祀った神社で、境内には歴代横綱の名前が彫られた石碑もあり、本場所前にはこの神社で祭事が執り行われているとか。まあかなりこじんまりした神社である。七不思議には関係ないが、通り道だったので。

 

 

七不思議めぐりはこれで終わりだが、せっかく本所七不思議を巡ったのだからついでにお土産を買って帰りたい。そんな風に考えていた人向けにちょうどいいお土産があった。錦糸町駅から歩いてすぐ、京葉線と交差する通りに面した人形焼のお店『山田屋本店』である。ここでは本所七不思議を象った人形焼を売っていて、その包み紙にも本所七不思議の絵が描かれているという、本所七不思議巡りの締めにぴったりなお土産を売っているのだ。

 

残念ながら七不思議をモチーフにした人形焼は現在『置いてけ堀』と『津軽の太鼓』の二種類しか無い。置いてけ堀はここでは狸説を採用しているので狸型の人形焼である。店員さんに話を聞いてみると駅ビルの地下にも山田屋さんの支店があり、そちらには昔の七不思議揃っていた頃の金型が展示されているとのこと。実際行ってみると確かにあった。置いてけ堀、津軽の太鼓、消えずの行灯、片葉の葦、落ち葉なき椎、馬鹿囃子(狸囃子)、送り提灯の七つに、本所七不思議と印字されたものの計8つ。本所七不思議の歴史を今に残す品を見ることができて、最後にいい思い出になった。

 

 

この後は亀戸まで足を伸ばせば亀戸天神なんかもあるし、見て回れる場所はまだまだある。本所なんて七不思議以外にも鬼平犯科帳の舞台にもなっているし、そっちの聖地巡礼みたいなこともできそうである。事実散策中はそっちの立て札もよく見かけた。最近の作品に限ってもスカイツリーのある押上方面に行けばリコリス・リコイルの舞台だし、橋を渡って浅草に行けばワールド・ダイスター、月島方面に行けば江戸前エルフ、日本橋方面に行けば小林さんちのメイドラゴンなど聖地巡礼だけでも枚挙にいとまがない。この本所七不思議以外にも結構東京都内を散策していた時期があったので、また何か思い出すようなことがあったら記事にしてみたいと思う。