四十の一部始終

今年で四十歳になりました。二日に一回更新が目標。

『フェイブルマンズ』鑑賞。

スティーブン・スピルバーグの映画は、子供の頃TVで放送されていればかじりついて見たものだ。当時は夜の10時までしか起きていることが許されなかったが、スピルバーグ映画に限っては最後まで観ることを許された。『ジョーズ』『E・T』『未知との遭遇』『インディ・ジョーンズ三部作』『ジュラシック・パーク』……どれも夢中になって観た。自分にとって映画は楽しいものという原体験を植え付けたのは間違いなくスピルバーグのおかげだろう。だがそのスピルバーグにとっての原体験は何だったのか。『フェイブルマンズ』は映画監督となったスピルバーグ自らの原体験を投影した作品である。

 

ユダヤ系である電気技師の父親とピアニストの母親との間に産まれたサミー・フェイブルマン。彼は両親に連れられていった映画館で生まれて初めて見た映画『地上最大のショウ(1952)』に衝撃を受ける。その衝撃が忘れられない彼は、プレゼントに貰った鉄道模型と車の玩具を衝突させて遊んでいたが、せっかくの高価な贈り物を大切に扱うようにと咎められ、8ミリカメラで撮影すれば何度もその瞬間が楽しめると父に言われる。やがて父の仕事の都合でアリゾナへ引っ越すことになったが、そこでも妹やボーイスカウトの仲間を集めて短編映画を撮っていた。サミーの映画にかける情熱を尊重する母親と、ただの趣味としか見做さない父親。家族で行ったキャンプでもサミーは撮影係を務めるが、ホームムービーとしてそのフィルムを編集することで、母親と父親の友人との間のただならぬ関係を目撃してしまう……。

 

スピルバーグの幼少期の出来事を反映した自伝的映画である今作。『フェイブルマン”ズ”』というタイトルの通りこの作品は家族についての話でもあり、幼少期に形成された家族観がどれだけ作品に影響を与えているのかがよく分かる内容になっている。そういえばスピルバーグ作品は家族に問題のある作品が結構あったな……と子供の頃には無かった気付きが得られた。

 

ユダヤ系として差別されていたのは後の『シンドラーのリスト』を撮ったきっかけになったのかもしれないし、鉄道模型をクラッシュさせて遊んでいたのは、スピルバーグの初期作品『激突!』に昇華されたのかもしれない。ボーイスカウト仲間で撮っていた戦争映画は『プライベート・ライアン』の原型のようにも思える。とにかく記憶が刺激される映画である。あの映画はこの出来事が反映されたものだったのかと考えずにはいられなくなる。まあ事実の部分もそれなりにあるが、わりと脚色もされているようなのでどこまで本当のことかは分からないのだが。

 

だが一方で映画がもたらす影響力というか、時に暴力性すら持ち得るということにもスピルバーグは自覚的のようで、サミーは自分の撮った映像によって色々なものがおかしくなっていってしまうことを目の当たりにしてしまう。映画を撮るというのは素晴らしいものだが、ときに苦しみもあり孤独にもなるという。70年も映画を撮っている爺が言うと説得力があるものだ。

 

基本的に映画讃歌というよりはサミー(スピルバーグ)のシリアスな生い立ちを描いた作品だったのだが、それを笑い飛ばすようなラストシーンの演出が冴えていた。映画監督ジョン・フォードにお目通りが叶ったサミーは彼に助言を受ける。地平線が画面の上でも下でもいい画になる。だが真ん中はクソだ。興奮冷めやらぬままフォードのオフィスを立ち去るサミーを映すカメラはどう映すか……。あっけに取られたが洒落の効いたオチで、いい映画を見たという気分で映画館を立ち去ることができた。