四十の一部始終

今年で四十歳になりました。二日に一回更新が目標。

Netflix『雪山の絆』視聴。

自分がまだ生まれる前のこと、1972年にウルグアイ空軍機571便遭難事故という飛行機墜落事故があった。ウルグアイの首都モンテビデオを出発した旅客機が、チリのサンティアゴに向かう途中アンデス山脈の標高4200m付近に墜落し、45人の乗員のうち29人が死亡16人が72日間の雪山でのサバイバルの末に生還した事故である。

 

ウルグアイ空軍機571便遭難事故 - Wikipedia

 

このあまりにセンセーショナルな事故は『アンデスの聖餐』『生存者』『生きてこそ』など何度も映像化されており、2023年に公開された『雪山の絆』もまた同じ事故を映像化したものである。なんで今になって?と思ったが事故からすでに50年以上が過ぎている。作品によって多少切り口は違うとはいえ、実際に起こった事故についての映像化なのでストーリーには大筋として変化はないのだが、この事故について知らない人間は一度はこのことに触れておくべきものだと思っているので、最新の映像で触れる機会を作るというのは良いことだと思う。雪山の中でまともな防寒設備もなく、食料もなく、知人が次々に死んでいくという極限状況下でどうやって人々が生き延びたのか、そこにどんな恐怖や葛藤があったのかを知っておくべきだ。

 

彼らは墜落事故という大きな不幸に見舞われたものの、雪のおかげで人間に最も必要な水分は確保できていたこと、低温なので食べる物が腐敗せずに保存できたこと、乗客の多くは若いラグビーの選手たちで体力があったこと、乗客のほとんどがチームメイトだったため協力しあうことが出来た、などの生き延びるために必要な小さな幸運にも恵まれた。だがここで一番重要だったのは生きることを諦めなかったということなのだと思う。それがなければいくら小さな幸運がその辺に転がっていても見落としてしまっていたに違いない。どんなに生き延びるための知恵や道具があっても、生きようとする意思がなければ16人は生還することはなかった。寒さをしのぐのに飛行機の残骸しかないような状態では、自分だったら三日で生きるのを諦めてしまいそうな状況だが、よく72日も耐えたものだ……。

 

能登半島地震が起こり、首都直下地震南海トラフ地震に対する脅威も日に日に現実感を増してきている今日この頃。日本に住んでいても極限状態に置かれるようなことがいつかやってくるかもしれない。もしそんなことが自分の身の回りで起こったとき、どれだけの覚悟ができるのか。『雪山の絆』を観た後では考えずにはいられなかった。