四十の一部始終

今年で四十歳になりました。二日に一回更新が目標。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』鑑賞。

今年度アカデミー賞の本命!などと言われてしまうと色眼鏡をかけずに見るのはもはや困難である。日本ではエブエブなどという略称で若干キャッチーな感じを出そうと試みているが、今作の監督は『スイス・アーミー・マン』のダニエル兄弟。非常に好みの分かれる作品であることは容易に予想できた。だが作品の評価の9割は好みで決まるというのが個人的な持論である。当たって砕けろだ。

 

かつて駆け落ちし中国から渡米、現在はコインランドリーを経営するエブリンは税金の監査、娘との諍い、数十年ぶりの父親との再会、そして優しいだけが取り柄の頼りにならない夫と幾つものトラブルを抱えて疲れ果てていた。しかし国税局の監査官に確定申告の不備を指摘され呼び出されてしまう。だがその国税局のエレベーターの中で、夫に突如として別の宇宙の夫が乗り移り、現在全てのマルチバース(多元宇宙)の驚異となっているジョブ・トゥパキとの戦いをエブリンに託す。エブリンは教えられたマルチバースに接続するための方法を試すと、本当にマルチバースに飛ばされてしまうのだった。かくしてエブリンは無数に分岐する世界の、ありえた可能性の自分からその力を引き出し、全マルチバースの驚異であるジョブ・トゥパキと戦うのだ!

 

レイトショーで見たのが、その選択は失敗だったように思う。非常に脳と目を酷使するため、どれくらい作品を理解できたか分からない状態でこの感想を書かなければならなくなったので、トンチンカンなことを言っているかもしれない。よってあまり疲れた状態で見るのはおすすめできないことは確かだ。

 

とにかく、実写映画としては斬新……というか見たことのない切り口の、カオスで奇妙な作品なのは間違いないが、アニメではこういった感じの作品は見たことある……気がする。監督が『マインド・ゲーム』や『パプリカ』に影響を受けたと言っているので、そう感じるのかもしれない。

 

劇中、様々なマルチバースに存在するエブリンの姿を見ることになる。コインランドリー経営者ではなく、カンフー映画スターであったり、コックであったり、同性愛者であったり、あるいは人間ですらなかったりする。カンフーアクションのかたわら、くだらない下ネタも乱舞し、俺は一体何を見せられているんだという気分に何度もさせられて翻弄されるのだが、限りなくマクロであるマルチバースという壮大な設定はある種の舞台装置で、実際は家族の再生という非常にミクロで普遍的な物語を描いた作品だった……ような気がする。

 

LGBT・反ルッキズム・人種多様性・移民・貧困とアカデミー賞の評価基準としては数え役満のような数々の要素があり、正直評価に下駄を履かされている感はある。マルチバース設定も、現在進行系でマルチバース設定を使っているMCUへのアンチテーゼのような扱いになっていて、そのあたりも関係していそうではある。A24配給ということもあり、キワモノとして評価されるならまだ理解できるが、この作品がある種の社会的な権威を持つ賞を授与されるようなことは……まあどうでもいいか。とりあえず、あまり自分好みの作品ではなかった。

 

本来ならジャッキー・チェンに主演のオファーを出すつもりらしかったのだが、もしそれが叶っていたら一体どうなっていたのだろう。それもまたマルチバースの彼方だ。