ほぼ絶え間なくアメコミヒーロー映画が上映されるようになってどれくらい経つだろう。MCUは『エンドゲーム』で最高の満足感を得られた後は、ちょっとすっきりしない話が続いてなんとも言えない感じになっているというのが正直な感想だ。
そんな中、地道に単発映画を繰り出し続けているDC側は、ロック様ことドゥエイン・ジョンソンがアンチヒーロー『ブラックアダム』に扮し、正義のスーパーヒーローチームと戦う映画を世に送り出そうと言うのだ。概要を聞いただけでちょっと観たくなる。
ストーリーは公式から引用する。
5000年の眠りから目覚めた破壊神ブラックアダム。かつて彼の息子は、自らの命を犠牲にして父を守り、その力を父に託した。息子の命と引き換えに手に入れた”呪われた力”。ブラックアダムは苦悩と悔恨に苛まれながらも、息子を奪われた復讐心から、その強大な力を使い、現代の地球で破壊の限りを尽くす。そんな彼を人類の敵とみなし立ち向かうのは、スーパーヒーローチーム”JSA”! 果たしてブラックアダムは人類の敵なのか!? 彼が現代に蘇った本当の理由とは?
映画を観たあとだとちょっと待てよ!? と言いたくなる筋書きである。本編では最初に伏せている肝心な部分をネタバレしすぎだし、ブラックアダムはそれほど破壊の限りを尽くしてもいない。アンチヒーローの部分を強調したかったのだろうが、実際は善悪の分別はわりとついてるし、悪党をばったばったとなぎ倒し、ヴィランだと認識して襲いかかってきたヒーローもボコボコにして、黒幕が出てきたら真っ二つにしてやっつけてしまうという、本当にただそれだけの話である。でもそういうのでいいんだよ、そういうので。細かいところは気にするな。
対するスーパーヒーローチームJSA(ジャスティス・ソサエティ・オブ・アメリカ)。今作で登場するJSAのメンバーは4人。ホークマン……はファルコンかな? ドクターフェイトはドクター・ストレンジだし、サイクロンはX-MENのストームっぽいし、アトム・スマッシャーはジャイアントマンだこれ! という見方になってしまったのだが、こればかりは後発作品の宿命としか言えない。既視感が強すぎる。
コミックにおけるJSAの歴史は古く、1940年に結成した最古のヒーローチームらしいのだが、映画の展開においてマーベルの後手に回っているせいでDCはちょっと損をしている。だが最初はジェネリック・アベンジャーズのように思えたJSAも、ブラックアダムの噛ませ犬として用意されたわけではなく、対立したり振り回されたり協力したりしているうちにそれなりの魅力を感じるようにはなった。
ただ『この国が軍隊に占領されてるときは助けに来なかったのに、ブラックアダムが現れた途端にやってきたのはどういうこと?』という問い掛けに咄嗟に答えられないのは良くなかった。もうちょっとしっかりした正義の哲学で、ヒーローの存在を信じさせてほしい。超強力なブラックアダムの出現で守るべき正義が揺らいでしまう! とかそういう展開もないし、そのあたりの掘り下げはだいぶ不足している。
だがある種世界中に軍隊を押し売りしているアメリカのメタファーのようにも取れ、世界の警察を自称していたアメリカにとっても今はその正義が揺らいでるのかな……と思えなくもなかった。
そしてJSAを派遣した張本人であるアマンダ・ウォラーという全ての元凶としか思えない黒人クソババアがこの作品にも登場する。『スーサイド・スクワッド(一作目の方)』に初登場したときはそのあまりのクソババアっぷりに若干引いたくらいだったが、三度目ともなるともはやお馴染みのキャラクターとなり、また出たよコイツ! とむしろ再登場したこと自体が面白かった。また出てきて観客の度肝を抜いてほしい。
『マン・オブ・スティール』から緩く繋がっているDCユニバース(ザ・バットマンとジョーカーは含めない)は、ポリティカルな要素を必要以上に意識せず見られるエンターテイメント・スーパーヒーロー映画として現在はマーベルと差別化できていると思うので、今後もこういう路線でやっていってほしいところ。わりと批判されがちな『ジャスティス・リーグ』もそういう意味では好きな作品。同じ路線は二つもいらないぞ。