四十の一部始終

今年で四十歳になりました。二日に一回更新が目標。

『ザリガニの鳴くところ』鑑賞。

ザリガニって鳴いたっけ? 映画館で予告を見たときに浮かんだ率直な疑問だった。子供の頃釣ったザリガニをバケツに入れたときの擦れ合うような音を鳴き声だと思っているのだろうか? それとも本当に鳴くザリガニがいるのか? 次から次へと疑問が浮かんでくる。どうやらミステリー系の映画らしいので、もしかしたら『ひぐらしのなく頃に』のパロディ……? 答えは公式サイトの作者コメントを読んだら書いてあった。

 

もちろんザリガニは鳴きませんと、そりゃそうだ。作者が言いたいのは、大自然の奥深くまで行くとザリガニの鳴き声が<聞こえて>くるのだという。つまり物理的に聞こえてくるものではなく、自分自身が自然と一体化してしまうほどの感覚。この映画の舞台はまさにそういった大自然が身近な場所の話である。

 

ときは1969年。ノースカロライナ州の街はずれ、湿地帯にある物見櫓の下で一人の男の死体が発見される。6歳の頃に一家離散し、たったひとりで湿地帯での暮らしを余儀なくされた、”沼の娘”と呼ばれているカイアという女に殺人の容疑がかけられる。誰にも心を開かないカイアだったが、裁判を前に弁護士の説得によって自分の壮絶な半生を語り始める……。

 

基本的には殺人なのか事故なのか、事故だとしたら真犯人は誰なのかというミステリー、カイアを助けようとする弁護士による法廷サスペンス、そして一人だったカイアの元に現れた少年とのラブストーリーの三つが作品の主な要素。

 

少しづつ明らかになっていくカイアの過酷な過去。DV父親によって母親が蒸発し、一人また一人と兄弟が去っていき、たったひとりになったカイアの元に現れる親切な少年との交流、そして別離。傷心のカイアの前に現れるもう一人の男を見た瞬間、なんだか嫌な予感が観客によぎるはず。

 

このチェイスという最初に死んでいた男、本当に好きになれないタイプのいけ好かないヤツで、無垢なカイアが振り回されるのを見るのは本当に同情してしまう。基本的には街の住人に煙たがれているカイアだが中には親切にしてくれる人もいて、観ている方としてもなんだか救われた気分になるのだが、そんな環境での裁判は陪審員の心象も最悪。どうやってそれを切り抜けるのかというのも話を引っ張るポイント。

 

結末は驚いたというより、やっぱりそうだよねという感じ。殺人の動機がありそうなのは何人か候補がいたものの、途中でかなり強い匂わせがあったので、それで何もなかったら逆に驚いてしまうところだった。学校にも通わず大自然の中で生きる術を学んできたカイア。植物、鳥、魚、昆虫。弱肉強食の世界では善悪の概念は意味を成さない。カイアもまた自然の一部であった……ということか。

 

劇中ではかなり無茶なスケジュールの犯行という話だったが、殺人を実行したシーンが描かれないためミステリーとしてはちょっと物足りない感じだった。その辺が重要な作品ではなかったのだろうな。