四十の一部始終

今年で四十歳になりました。二日に一回更新が目標。

『アイアムアヒーロー』鑑賞。

現状に不満があると、世界なんて引っくり返ってしまえばいいのになんて考えることはしばしばあるものだが、実際は引っくり返ったところで力あるものが支配する世界になるだけで、結局自分のいるポジションはそんなに変わらないどころか、不必要に危険に晒されるだけ……そう思って何事もない日常を生き続ける。そんなものだ。

 

この作品はいわゆるゾンビものと考えて差し支えない。原作では微妙に違うらしいのだが、原作未読の状態ではやはりゾンビものとして見るのが一番分かり易い。日常から非日常へ緩やかに移行していき、ある時を境目に決定的に人間社会が崩壊していく、そんなゾンビものの面白いところはしっかり踏襲されているし、むしろ丁寧にやっていると感じるくらい。

混乱に陥った都会を離れ、人間の集まるコミュニティに辿り着いて安住の地になるかと思いきや、人間の不和とゾンビによって崩壊させられ再び逃避行へ……というテンプレートにも忠実極まりない。そういう前例と一番差別化されているのは、やはり主人公だろう。

 

この作品の主人公、鈴木英雄も世の中に不満を持ちながらも、うだつの上がらない日常を過ごす一人。漫画家のアシスタントをしながら漫画連載を勝ち取ることを夢見るが、結果を出せないまま15年の時が過ぎてしまった。一つだけ違うのは銃の所持免許を持ち、散弾銃を所持していることぐらい。だが人間社会崩壊後の世界ではそれが心強い武器になる……というわけでもなかった。

鈴木英雄は、とにかく頼りない。日本国内の一般人としては珍しく銃を持っているものの、まともに撃つこともままならず、ゾンビに対する抵抗も弱々しい。その分終盤の覚醒にカタルシスがあるのだが、それまではずっとやきもきさせられることになった。

 

個人的にはゾンビものお約束のショッピングモールパートがやや物足りないかなという感じ。この映画はそこがメインじゃないからと言ってしまえば簡単なのだが、あっという間に人間同士で揉め事を起こし崩壊へ向かって一直線になるのので、人間社会崩壊後のサバイバルという部分では旨味がない。その分昨今の邦画では見られないレベルの血みどろの戦いが繰り広げられる終盤は、英雄の獅子奮迅の活躍も相まって楽しめたが、最終的には物語の中盤までで終わったくらい、もう一山足りない感じがしてしまった。でも邦画でこのレベルのゾンビ映画が見られるとは思わなかったので、そういう意味では満足だった。

 

結局のところ世界が変わるより自分が変わった方がずっと簡単だし早いのだろう。

それが簡単にできないから、人はやはりゾンビを求める……。